祖母の死

 先日、私の祖母がお浄土に還った。もともと住まいは奈良だったが、調子が悪くなってからは、以前にも紹介した、寺に併設する老人ホームで過ごしていた。昨年末から調子が悪く、一時血圧も下がり、いよいよ、と思われたが持ち直した。そのとき当ホームの看護師には、夜間もつきっきりで献身的な看護をしていただいた。私も休みが取れた日にベッドサイドに付き添った。これほど長く一緒にいたのは子供の頃以来であっただろうか。中学生の頃ぐらいまではよく奈良に遊びに行ったものだった。それが今は簡単な会話が少しだけできるが、もう私のことはわからない。食事もとれない。ときどきおむつを交換してもらう。そんな状態だった。私はときどき話しかけてみたり、血圧をみたり、SpO2(動脈血酸素飽和度)をみたり、点滴を付け替えたりした。そんなちょっと医者らしいことをするが、では孫として一人の人間として何ができるのかわからなかった。祖母は一人歩んでいる。しかしそれが孤独ではなく、私と同じ一つのいのちを歩むものであることが、どうあきらかになるのか。共に歩むということが何処に成り立つのか。その問いが解けなかったのは、そこにお念仏、法がなかったからかもしれない。ふと横を見ると、サイドテーブルにスケッチブックがあった。そこには今の祖母の姿を描いた似顔絵が残されていた。弟が描いたものであった。

 一時の不安定な状態を脱し、祖母の生命力の強さを感じて安心していた矢先だった。母から呼吸が止まっている、と電話があった。ちょうど近くにいたので駆けつけたところ、もう息を引き取った後であった。まだかかりつけの先生も到着する前で、身体もまだ温かかった。私は死亡確認の際に病院でいつもするように、対光反射の確認や胸部の聴診を行ったが、実感がなかった。まもなく先生が到着し、正式に死亡確認をされた。

 葬儀では親類、老人ホームの職員、入居者の方々など皆集まり、導師は私がつとめさせていただいた。出棺のときの顔は最後に見たときと変わっていなかった。火葬場につき荼毘に付されるとき、既に亡くなっていて悲しかったはずであるのに、またそれとは別の何とも言えない悲しみを覚えた。そして白骨だけになった祖母を見たとき、あれほど聞き親しんでいたはずの「白骨の御文」が、やっと身に迫ってきた思いがした。

「野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。」「されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。」(『御文』蓮如上人、真宗聖典八四二頁)

 「後生の一大事」人間が人間として生涯を生き切るのに最も大事なことを私は求めているだろうか。どんな苦悩の中も人間として生きられる道があることを示す仏陀として祖母ともう一度出会うことが、私のいのちとなって私の生涯を共に生きる祖母のいのちとのほんとうの出会いなのかもしれない。だから今、いのちの名を呼ぼう。

[『崇信』二〇一六

祖母の死

年三月号(第五四三号)「病と生きる(7)」に掲載]

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