風花の供養

 突然の肺の病気で心肺停止にまで陥りながら何とか救命された女性。しかし低酸素脳症による高度の脳障害で寝たきりとなり、長年入院されていた。脳障害のせいか四肢はよじれたようになり、ときには動きすぎて危険なため抑制帯をつけられた。さらに癌も見つかり、痛みのため麻薬系鎮痛剤を使わなければならなかった。

 お母さんも神経疾患で車椅子生活であったが、二週間に一度、必ず見舞いに来られるのであった。夜自分のベッドにはいないはずの娘さんが見えることがあるという。

 その娘さんが亡くなられてから、もうしばらく経つ。お母さんにとって、生きていることそのこと自体が力になっていたのだろうか。娘さんは寝たきりの状態が長かったが、亡くなられてから持病の神経疾患が急に進んだようであった。

 今年は水俣病公式確認から六〇年ということもあり、テレビ番組で石牟礼道子の『苦海浄土』が取り上げられていた。水俣病は有機水銀により重篤な神経障害をきたす。水俣病の描写は、私が診てきた神経疾患の患者さんを思い出させる。

ゆりはもうぬけがらじゃと、魂はもう残っとらん人間じゃと、新聞記者さんの書いとらすげな。(中略)そんならとうちゃん、ゆりが吐きよる息は何の息じゃろか。草の吐きよる息じゃろか。うちは不思議で、ようくゆりば嗅いでみる。やっぱりゆりの匂いのするもね。ゆりの汗じゃの、息の匂いのするもね。(二六九頁)

 娘の魂はどこにいったのか。いやどこにもいっていない。においやあせも魂の表れだと母は言う。四一号患者と呼ばれ、魂を持ったかけがえのない存在として尊厳を持って受け止めてもらえない悲しみ。番号で呼ばないまでも、私も分別を持って人を見たとき、そのかけがえのない存在性を穢している。

きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘ひじから血ぃ出して、「おかしゃん、はなば」ちゅうて、花びらば指すとですもんね。・・・何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に。(「花の文を――寄る辺なき魂の祈り」『中央公論』二〇一三年一月号)

 水俣病は公害であり、現代社会を享受している以上、第三者ではありえない。では病気の場合はどうか。私がならず、あなたがならなければならなかった理由はない。それならば、人間を全体としてみたとき、私の代わりにあなたがなってくれた、ともいえるではないか。かわいそうな人がいるものだと第三者で済ますことができるだろうか。

 私の診ていた彼女のあのよじれるような手の動きもまた、〝花〟を求めてのばした手だったのではないか。ちょうど今頃の季節から容態が悪化した。まだ桜の季節には早いが、舞い落ちた風花が手の中で溶けてゆくの眺めながら、彼女の動きや呼吸の一つ一つに思いを致すとき、いのちを見る私の眼が問われる。

[『崇信』二〇一六年十二月号(第五五二号)「病と生きる(16)」に掲載]