タイで生きる人たちの物語(3)

 旅の後半は、村にホームステイをしながら皆さんの生活に触れる。ライトハウスを後にした我われ一行は、さらに北に位置するクンダーン村へと向かった。

 村の寺に到着したのは、日も傾きかけたころであった。そこで我われを待っていたのは、これまでに経験したことのない温かいおもてなしであった。住職のウイリアタムソポン師(以下ウイリア師)に導かれて向かった本堂には、もう村の皆さんが大勢集まっていた。サーイシン(聖糸)と呼ばれる細いひもを腕に結んでいただきながら、いろいろと語りかけられる。タイ語が分からない私にも、全身を受け止めてくれるような歓迎の気持ちが伝わってきた。今回一緒に旅をした松下俊英さんは、「ふるさとに帰ってきたよう」と表現されたが、同感であった。

 そして本堂で晩餐会が始まる。タイの食事は、日本食が恋しくならないぐらいどこでも大変おいしかったが、村の食事もその例外ではなかった。ただコオロギだけは閉口した。虫が苦手で見ることすら避けたい私は、食べるのだけは拒否しようと心に決めていた。ただ、もし村の方に勧められたら困るな、と思っていた。しかし村の方ではなく、隣にいた悪戯好きの松下さんが勧めるということを予想しておくべきであった。同じものを食べるということに意味がある、と意を決した私は、思い切っていただいた。仏教では四食《しじき》(段食・触食・意思食・識食)というが、おかげで段食(口を通して食べるもの)を共にすることができた。

 翌日はウイリア師に連れられて村の家々を訪れた。体調の悪い方の様子を伺って回るのである。村の人が入院したら病院にも出向く。ウイリア師が訪れると自然と人が集まり、皆うれしそうである。タイでは僧侶が敬われているからというだけでなく、ウイリア師自身が慕われていることがよくわかる。またタイでは病院に僧侶が訪れるのはごく当たり前のことで、時には治療の選択についての相談や、退院後に必要な医療機器の準備にまで関わることもある。

 村には介護ボランティアという形で世話をする人もいる。しかし何か「ボランティア」という言葉がそぐわない。生活の中で自然にそこにいる、という雰囲気である。ふと気づけば、寺に来られていた人や、ホームステイのホストファミリーのお母さんもそこにいてお手伝いをしている。

 村の中で見たウイリア師の姿は、上座部仏教の僧侶が世俗を離れて修行をしているイメージとは大きく異なる。寺と僧侶が村の人々の生活の軸となっており、生活の真っ只中に入って人々に寄り添う。しかし、真に寄りそうということを成り立たせるには、食事(段食)を共にするということと同様に、それぞれの苦悩の中で生きることを支える何らかの共なる心、共にする「識食」が必要であろう。それは「物語」を共有するという形をとるのかもしれない。村で出会った癌の末期だという男性や、膝が痛くて動けないというご高齢の女性、若くして脊髄損傷で寝たきりになった男性は、その苦悩をウイリア師と共にどのような物語の中で越えてこられたのだろうか。

 南無阿弥陀仏という本願の名号を「識食」としていただき、共に無量寿を生きるものとなる。そんな我われの法蔵菩薩の物語を確かめようとするとき、タイの村の人々の物語にももっと触れたくなったのであった。

[『崇信』二〇一七年九月号(第五六一号)「病と生きる(25)」に掲載]

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