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連載「病と生きる」について

私は脳神経内科医として、神経難病、認知症などの診療に携わっています。また寺に生まれたというご縁もあり、仏教を学んでいます。

医療現場には、いつも病と共に生きる人たちの姿があります。誰しも病などないほうがよい、早くよくなりたいという思いで治療やリハビリに励んでおられ、それに応えたいという気持ちで取り組んでいます。しかし一方で、いくら努力をしても、自分の力でも医学の力でもどうにもならない現実があり、その現実に向き合わないといけない、ということがあります。

なぜ自分だけがこんな目に合わないといけないのか。なぜ苦しみの中を生きなければならないのか。治らないなら何が希望か。人生に喜びはあるのか…。

そんな現実に向き合う姿を通して、「人間として生きるとはどういうことか」「いのちを全うするということはどういうことか」ということを学ばせていただく日々です。

さまざまな苦しみ、悲しみとして現れた「医療現場の問い」。苦しみや悲しみはできれば見たくないことですし、無くしたいことです。ふつうはそれを直接的に取り除こうとします。見ないようにして生きていくという道もあるのかもしれません。

けれども、そんな苦しみや悲しみにこそ、「人間として生きていく」ということの大事な意味があるということを教えていただいたのが、仏教の学びでした。「医療現場の問い」のもつ意味を学んでいくのが仏教の学びでした。これまで「問い」もわかっていないのに「答え」を探し、勝手に「答え」をつかみ、「解決法」ばかりを探していたようなものでした。それでは迷いは深まるばかりです。

苦しみや悲しみを「いかに無くすか」ではなく、「どういう意味をもっているのか」を学ぶ—そういう学び方があるということを仏教に教えていただきました。

「医療現場の問い」を通してその意味を仏教に尋ね、また仏教で学んだことを医療現場で確かめていく。それこそが大事な課題であると考え、取り組んでいます。

そのことを綴る機会をいただいたのが、金沢にある仏教の学び舎「崇信学舎」の機関誌『崇信』でした。「病と生きる」の記事は、その『崇信』に毎月連載をさせていただいているものです。