「もしもあなたが、意識がはっきりしているのに、目を開けることも話すこともできない、身体を動かすことも全くできない。そんな状態がずっとつづくとしたらどうしますか」NHKスペシャル「命をめぐる対話」(二〇一〇年三月二十一日放送)はこんな問いで始まる。この状態は「完全な閉じ込め状態」(totally locked-in state, TLS)と呼ばれ、脳梗塞や筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの疾患が原因となる。そんな暗闇の世界で生きられるのかという問いである。
それは一見、特殊な例であって、自分とは関係がないと思われるかもしれない。しかしはたしてそうだろうか。番組は作家・柳田邦男氏がALSの方と対話する形で進行するが、その姿勢は単に特殊な事例に対応するという生半可なものではなかった。十七年前、柳田氏の次男・洋二郎氏が自ら命を絶つ。十一日間の脳死状態の後に洋二郎氏は二十五歳の生涯を終える。その生涯から、いのちとは、生きるとは、ということを際限なく問いかけられると柳田氏は言う。自分の息子は死を選ぶしかないほどの苦悩に満ちた「暗闇」の中を歩まなければならなかった。しかし、そこを生きぬいてゆける道は、本当になかったのだろうか。その問いを対話の中で確かめておられるようであった。TLSになったら死なせてほしい、と訴える照川貞喜氏との対話である。
照川氏はこのような要望書を書かれた。「動くことができなくて、意思の疎通もできなくなれば、精神的な死を意味します。闇夜に身をおくことになりとても耐えられません。そのときは呼吸器を外して死亡させていただきたく、事前にお願い申し上げます。」照川氏は発病後もわずかに動く頬筋でパソコンを操作し、執筆活動を通して社会と積極的に関わられ、「身体は不自由でも心は自由」と語る方である。その方が死を求めるほどの状況があるということに接したとき、柳田氏は次男の死と重ね合わせ、生きられる道は本当にないのか、という問いを一層深めているようであった。
照川氏と意見を異にするALSの方や、実際にTLSになった方とそのご家族との出会いの後、柳田氏は照川氏に手紙をしたためる。「照川さんがご自分から意思を伝えることができない状態になっても、照川さんが尚も生きてそこに存在していることはご家族にとって、毎日の生活と人生の大きな支えになるに違いないという私の考え方について、どうお考えでしょうか。照川さんにいつまでも生きてほしいと心から願っているのです。」
それに対し照川氏は「私が生きることで家族の支えになることは分かります。でも家族のために生きろというのは私には酷な話です。(中略)私は自分の道を選んだのです」と答え、命は自分のものだと思うがどうか、と問う。柳田氏は、命にはもうひとつの側面があり、夫婦や親子などで共有している。だから片方がいなくなればとても悲しくつらい。共有した命はいつまでも続いてほしい。そう思う家族を通して、自分がまだこの世に存在する意味があると確かめられるのではないか、という。照川氏は答える。「わたしはとてもつらい」と。
命は私のものではなく自己を生かそうとするあらゆる縁によって成り立っている、という存在の事実を知らしめるはたらきかけとの出会いは、思いに行き詰まり閉ざされた私の眼を開く。そんな真実を求める心を賜ったところに、生きる意味と生きる道が開かれるということがある。一方、その事実をただ到達すべき結論として突きつけられたと捉えたならば、かえって苦しみともととなることがある。
柳田氏の、どこまでも人間存在そのものの尊厳を見出そうとする姿勢と、照川氏の、現実に直面しているTLSの不安と恐怖の苦悩との対話を通して、私は問われる。人間には、どんな困難の中も生きることができるとはどうしても言えない状況があるとあなたは帰結するのか、否、すでにこの道ありと頷けるのか、と。
[『崇信』二〇一七年 二月号(第五五四号)「病と生きる(18)」に掲載]
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