「ありのままを受け入れる。そうするしかないのだろうが、それでは何のよろこびもない。」「そのままでいい、と言われても、何も安心できない。」ある大腸の疾患で入退院を繰り返していた方と、私が何か〝仏教らしきこと〟を交えて語りあっていた中で、投げかけられた言葉である。仏教とはありのままを生きられる教えである、と受け止めていた私は、「ありのまま」ということの意味がはっきりしないままに空回りしていた。
最近、東田直樹という方をNHKの番組(NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」二〇一六年十二月十一日放送)で知った。自閉症を抱え、人と会話することができないが、文字盤を前にすると話せるようになる。そうして書き上げた『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』というエッセイは、知られることのなかった自閉症の人の心の内を多くの人に知らせ、様々な言語で翻訳され世界中で反響を呼んだ。取材する丸山拓也氏は、自らも癌が全身に転移し闘病している。障害を自分の生きる力へと変えた東田氏を前にして、では私は癌になってよかったと言える日がくるのだろうか、という疑いの中で、自分の問いをぶつけながら対話を進める。
自閉症の息子を持つ作家デイヴィッド・ミッチェル氏もまた、東田氏の著作に勇気づけられた一人である。ミッチェル氏は東田氏に問う。十三歳の自分に何と声をかけるか、と。東田氏は当時、知能が遅れている見なされ、特別支援学校に進路を変えざるをえなくなった。自分には知能がある、心があると言いたくても訴える手段はなく、ふさぎ込む毎日であったという。東田氏はまず、「ありのままでいい」という言葉を選んだ。しかし、当時のつらさを一つ一つ思い出したとき、「つらすぎる毎日を送っている僕には届かない」と考え、その言葉を書き換えた。そして「人生は短い」と言う事実を伝えたいと語った。短いからこそしなければならない使命がある、と言いたかったのだろうか。
東田氏は作家としての活動を広げていく。そんな中、丸山氏は問う。自閉症をどう自分の力に変えたのか、と。しかしそれに対して東田氏は、なぜ自閉症にこだわるのか、自閉症ではなく作家であるいまの自分に注目してほしい、と訴える。そう言われた丸山氏は、自閉症であれ、癌であれ、ハンディはハンディでしかないと言われた気がしたと、戸惑いを見せる。
東田氏はミッチェル氏に招かれアイルランドに行く。そこでは自閉症を抱えるミッチェル氏の息子との交流があった。ずっと心を開かなかったその子が最後に握手を求めた。ミッチェル氏はその光景を宝物だといい、自閉症は悪いことではない、東田氏の自閉症に感謝している、という言葉を贈る。その言葉を聞いた東田氏は考え込んだ様子であった。ありのままを生きるということがどういうことかをもう一度自問自答しているようであった。
自分が自分に対して言うにせよ、他者に対して語るにせよ、「ありのまま」ということを自分の言葉として語ったとき、それは「このままでいい」「自分の好きにして何が悪い」と安易に自己肯定するか、「どうせこうだ」と投げやりな自己否定するかしかない。安易な自己肯定や自己否定は、ただその場に座り込むだけである。「今を生きる力」とは無関係ではないか。それではもはや死後にでも救いを求めるしかないではないか。
老病死を超え、老病死により崩れない「ありのまま」のいのちを歩み出した人物に出会ったとき、その人物を称え、「あなたのようになりたい」と歩む方向性が決まる。ひとたびそうなれば、座り込んでなどいられない。それは自分が自分の言葉で「ありのままに生きる」ということとは全く意味が異なる。そこに、困難な現状に座り込むことなく、前に見える光をたよりに背中を押されつつ、人間として生きるという使命を背負って様々な状況に自由に応えてゆける生活が始まる。
[『崇信』二〇一七年 三月号(第五五五号)「病と生きる(19)」に掲載]
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