コロナ禍と他者
危惧していたことが現実になった。医療が受けられないままに新型コロナによって自宅で亡くなっていく方が続出している。妊婦の方が入院できず自宅で出産し新生児が亡くなるという痛ましいニュースも耳にした。大変な非常事態である。これが記事を執筆している9月の現状であり、皆さんが読まれる10月には状況が改善していることを切に望むが、亡くなった人は帰らない。
報道だけでなく、周囲でも実際に状態が悪くなっているのに入院できず、自宅療養を続けている方がおられる。外来患者さんも、通っている介護施設でクラスター(感染者集団)が発生し、自身も発症したという連絡が相次いでいる。回復しても後遺症で苦しまれている方もある。また感染していなくても、他の治療ができなくなっている方や、リハビリができなくなり症状が悪くなる方もある。
そんな医療現場での危機感の中で、報道や世間の感覚との間に大きなギャップを感じる。確かにコロナ禍での生活も長くなっており、それぞれの立場で、感染予防と日常生活との両方に、どう折り合いをつけて生活するべきか、苦慮されている方も多いことと思う。そのような状況で、いわゆる正常性バイアスと呼ばれるような危機を過小評価しようとする心理が、オリンピックの高揚とも相まって広がっているようである。「いつまでも恐がっていては何もできない、私はコロナを怖れずにしたいことをする」などという声を耳にする。その言葉に表れているのは、単に危機感が失われているということだけでなく、他者に対する視点も同時に見失われているということに、注意しないといけないのではないか。
他の病と違い感染症の難しいところは、私さえ怖れなければよいというのでは済まないことにある。つまり自分が感染するだけではなく、他者に自分が感染させる側になるということである。(既にそのことに深く心を痛めている方にとっては、追い打ちをかけることになるのを危惧しつつ)この「感染させる側になる」という視点が見失われやすいことを、もう一度注意しておかないといけない。特に今話題のデルタ株は1人が5〜9人に感染させるといわれる。仮に1人が5人に感染させるとすると、その5人がまた5人に感染させれば5×5で25人、またその25人が5人に感染させれば125人・・・と一気に膨れ上がる。ワクチンは重症化を予防しており、それがなければもっと大変な事態になっていただろうが、感染させる側にならないわけではない。
それならもっと医療体制を充実させよという。それも確かに必要だが、蛇口が壊れているのにバケツを増やすようなもので、感染拡大期には追いつかない。一人を救うのには、想像以上に多くの人手と時間がかかる。例えば重症であればICUなど高度な医療が必要だが、そこでは看護師が看られるのは一人か二人で、一度に何人も看るのではない。他にも臨床工学技士という高度な医療機器を扱える専門職も必要である。さまざまな職種の専門性をもった人達が、それぞれの職責を誠実に尽くしてやっと一人の生命が救われる。医療資源は限られており、コロナに重点を置けば他の疾患の治療にも影響が出る。
このように、コロナ禍において、自分が生きることが他者との関係によって、さらにいえば他者の犠牲の上に成り立っていることが、顕わになっているともいえる。仏教の文脈でいわれるような、自己は縁によって成り立っているということ、あるいは罪という問題にもつながるといえる。
しかし、仏教を学ぶ者が、「私は怖れない」と言って、かえって他者をかえりみずに行動し、仏教を学んでいない医療従事者が、自分の行動次第で他者の生命に関わると身をもって知るがゆえに、他者の立場に立って、感染予防に誠実に取り組んでいるということがある。病院では普段から、スタンダードプリコーション(標準予防策)といって、感染が疑われるかどうかにかかわらず行う感染対策の基準があり、それに加えて感染経路別に予防策がなされる。そしてコロナ禍では、自分の行動を厳しく自制しておられる医療従事者は多い。それは自分が怖れるからではない。他者の生命が失われる痛みを知るからであり、力を尽くしても生命を救えない悲しみを知るからである。その心が感染症予防の知恵として結晶し、実行されているといえる。
願わくは、ここに停まらん
しかし、感染症の観点だけではまた見失うことがある。予防を徹底した結果、生活が困窮したり、お子さんにとっての大事な時間が奪われたり、余命短い親と過ごす時間が失われたりするのを忘れるわけにはいかない。人間同士のつながりがなくなることで失うものがある。しかしだからといって、感染予防を徹底せずにコロナが蔓延すれば、生活どころか生命もまるごと失われることになる。だから仕方がない、人間というのは互いに他者を犠牲にして生きるものだ、などといえるだろうか。そう居直ってしまうことは、「哀れ」という感情を殺すことになる、と児玉曉洋先生は指摘する。先生は暁烏敏先生が、牛の屠殺場を見て牛肉が食べられなくなったことを話題にしてこのように言われる。
一面においては、そんなことやめとけといったら、今度は自分が死なねばならない。お肉を食べなければ生きていけないということも現実なんだけれども、やっぱり哀れと思う。屠殺場で次から次と牛が殺されていくのを見ると、喉がつまって入らない、こういう感情が起こるのも事実でしょう。その両方の事実を正しく見るということが大事なのです。それを単に律法的に「殺してはいけない」というと、口だけでいって実際は殺すという虚偽になるでしょう。逆に「殺さなければ生きていけないのだ」と居直ってしまうと、私たちのその「哀れ」という感情を殺すことになる。(中略) そういう気持ちを単に感情に流して、気の毒だけど仕方がないといったり、あるいは理屈をつけて居直ったりせずに、その哀れという気持ちを深く内面化して、生きものが互いに食みあわないで生きていくことのできる道を求めて、そして、それをついに見出したという表現が、自利利他円満という言葉なのです。(『児玉曉洋選集第四巻』一〇九頁)
「あわれ」というところから、立場は違えどもそれぞれの苦悩を分かちあい、乗り越えようとしてきた歩みの歴史が、自利利他円満という言葉として結晶したといえる。
もとより釈尊の歩みは、その「あわれ」というところから始まっている。釈尊の少年時代の挿話として描かれる、いわゆる「樹下思惟」(樹下観耕)の物語には、閻浮樹(えんぶじゅ)の下で烏が虫を啄むのを見て、「衆生や愍(あわれ)むべし。互に相い呑食す」(『過去現在因果経』)と言う少年ゴータマの姿がある。そして重要なことは、その憂悩を除こうと国へ帰らせようとする父王に対して、少年ゴータマは「願わくは、ここに停(とど)まらん」(同上)と言うのである。「あわれ」という心にとどまって思索をつづけた。自然の摂理だと居直っては生まれない態度である。
そして多くの仏伝は、苦行を捨てるときに、再びこの閻浮樹下の出来事を思い出すという形をとっている。「我、今、日に一麻一米を食らい、乃至、七日に一麻一米を食らい、身形消瘦、枯木のごとく、苦行を修すること、満六年に垂(なんなん)として、解脱を得ず。故に道にあらざるを知る。昔、閻浮樹の下に在りて、思惟せるところの法、離欲寂静こそ、これ最も真正なるにしかず」(同上)とある。苦行は閻浮樹下での経験に及ばないという。少年ゴータマは、外に苦悩を見たとき「願わくは、ここに停まらん」と悲哀にとどまろうとしたが、沙門ゴータマは、内なる苦悩に対しては、苦行によって直接的に取り除こうとしていた。苦行を捨てるとき再び樹下観耕を思い起こしたことの意味は、苦悩を怖れるかどうかではなく、その苦悩にとどまって、その真っ直中を生きる道を選んだということではないか。
このような歩みの歴史を目の当たりにしたとき、コロナ禍における我われは、怖れないと居直ることでもなく、怖いといって雁字搦めになるのでもなく、「あわれ」という心にとどまる力をいただくのである。さまざまに試行錯誤しながら、立場の異なる人とも共に、厳しい現実を乗り越えていこうとする力である。
[『崇信』二〇二一年十月号(第六一〇号)「病と生きる(71)」に掲載]
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