遙かなる記憶
[この記事は『崇信』二〇二五年六月号(第六五四号)「病と生きる(112)」に掲載されたものです] 認知症を診る外来では、記憶ということに着目することが多い。そして、その記憶が失われることをみな恐れ、悲しむ。 最近何かあり...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二五年六月号(第六五四号)「病と生きる(112)」に掲載されたものです] 認知症を診る外来では、記憶ということに着目することが多い。そして、その記憶が失われることをみな恐れ、悲しむ。 最近何かあり...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二五年五月号(第六五三号)「病と生きる(111)」に掲載されたものです] 先日、多系統萎縮症と診断されていた患者さんが亡くなった。肺炎だった。 運動機能は低下してきていたが、病気の末期ということ...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二五年四月号(第六五二号)「病と生きる(110)」に掲載されたものです] 二月号で、昨年末に救急搬送された父のことを記してから、ご心配のお声やお手紙をたくさんいただいた。ご報告が遅くなったが、幸い...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二五年二月号(第六五十号)「病と生きる(109)」に掲載されたものです] 昨年末のある日、お参りのため朝の支度をしていると、慌てた様子で母から電話があった。父が心肺停止の状態で救急搬送されたとのこ...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二五年一月号(第六四九号)「病と生きる(108)」に掲載されたものです] 病院の外来をしていると「さみしい」という声をしばしば聞く。本誌でも孤独をテーマに何度か書かせていただいた。 孤独に対して、...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二四年十二月号(第六四八号)「病と生きる(107)」に掲載されたものです] 中村哲氏は、パキスタンとアフガニスタンで病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた医師である。大干ばつで農業が壊滅し、渇きと飢...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二四年十一月号(第六四七号)「病と生きる(106)」に掲載されたものです] 「家の中に子どもがいる」夫婦の他には誰もいないはずの家で、そう妻が言う。以前から幻視の訴えはあった。しかし前回、薬を増量...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二四年九月号(第六四五号)「病と生きる(105)」に掲載されたものです] 私が研修医だったころのことである。同期の医師が当直でもないのに連日病院に泊まっていた。重症の患者さんがいるという。それだけ...