[この記事は『崇信』二〇二五年二月号(第六五十号)「病と生きる(109)」に掲載されたものです]
昨年末のある日、お参りのため朝の支度をしていると、慌てた様子で母から電話があった。父が心肺停止の状態で救急搬送されたとのことであった。幸いにも心拍は戻ったとのことであるが予断を許さない状態とのことであった。
すぐに母と病院に向かった。救急外来の待合に通され、父の身に付けていた法衣や念珠、経本など所持品を渡された。救急処置のため引き裂かれた法衣が状況を物語っていた。心臓カテーテル検査室(カテ室)にいるということ以外、しばらく何の情報もなかった。医師からの説明はなかったが、この状況でカテ室にいるということは、おそらく心筋梗塞である。心肺停止の時間が長ければ、命は助かっても意識は戻らない可能性が高い。いままでそんな患者さんもたくさんおられた。医学的な知識があると、いろいろな可能性を考えてかえって不安である。もともと糖尿病の持病に加え、腎臓癌と肺転移もあったため、ある程度覚悟はしていた。自分が医師として患者に説明するなら、もう覚悟してくださいというだろう。しかしいざ自分の親が倒れると、やはりどんな形であってもたすかってほしいと思うものだと改めて知らされた。
間もなく弟も到着した。一時間半ほど経ち、ようやく救急担当医から状況の説明があった。道端で苦しんでいるところを、たまたま通りがかった人に発見されたらしい。おそらく早朝、月忌参りのためにご門徒さんのお宅に向かっていたところである。救急隊が到着したときには心肺停止の状態だったが、蘇生処置が施されて心拍は再開した。到着してからの検査で心筋梗塞を起こしていると診断され、循環器内科のチームに引き継がれた。現在は心筋梗塞の治療中だということであった。
それからまた一時間半ほどが経った。結果はまだわからないが、ともかく治療後は集中治療室に入るとのことで、そちらの控室に移動した。移動後すぐ、今度は母が倒れた。呼吸ができない、手がしびれるとのことであった。過換気症候群の症状と思われ心配はなかったが、その場で弟と応急処置を施し、程なくして回復した。
集中治療室に入ってしまうと直接の面会ができないため、カテ室から移動して集中治療室に入る前に少しだけ顔を見られるよう配慮してくださり、通り道で待つこととなった。間もなく上がってきたが、いままで見たことのないような、青白く生気の無い顔であった。
このような状況になってみてやっと、無条件で命に向き合うということを改めて教えられた。患者の家族には、認知症があっても、能力で優劣をつけて責めるような態度ではなく、存在をそのままに受けとめることが大事であるといいながら、父に対しては、最近は物忘れもひどく、お参りの日をよく間違うことを責めてしまうことがあった。家庭のことや考え方の違いでいろいろな反発もあった。しかし、いざ命が終わるかもしれないということを突きつけられて、おろかにもやっと、ただいてくれたことが尊いと気づかされた。これまで父が仏法を語るような機会はほとんどなかったが、無言の父の身体からの説法であった。
コメントを残す