安危共同

[この記事は『崇信』二〇二五年八月号(第六五六号)「病と生きる(114)」に掲載されたものです]

外来に長らく通っておられ、脳卒中の後遺症で右上下肢に麻痺があるかたのことを何度か紹介した(「病と生きる(63)マスクをめぐって」『崇信』二〇二一年二月号、病と生きる(98)「満点」『崇信』二〇二四年二月号)。先月外来で、息子さんに癌が見つかり、すでに進行期であったというお話を聞いていた。息子さんは私と同じぐらいの歳である。

今月外来に来られたときのことである。部屋に入るなり、「息子が・・・」というお話しをされたので、まさかと思ったが、すでに亡くなったということであった。あっという間であった、と。

悲しみを共にしたいと思うが、難しいことである。先日私も父を亡くしたが、そのことを話題にして「私も先日・・・」とお話ししつつ聞くことが悲しみを共にすることかとも思ったが、何か違う気がして一旦飲み込んだ。しかししばらくお話を聞いているうちに、若くして息子さんを亡くした悲しみと、父を亡くした悲しみを比べているようで、それもおかしいと思い、やはり話すことにした。そして悲しみを通してしか聞けないことがあると思った。しかし同時に、本当に悲しみを共同するとはどういうことなのか、という問いを抱かざるをえなかった。

父の死から今日まで、わずか一か月半ほどで、実に五名もの葬儀を執り行った。月参りでは、三年前に亡くなった夫は癌と診断されて一か月余りで命終し、まだ死を受け入れられていないということであった。また最近では、夫が極めて進行の速い癌だと診断されたというかたが私の所に尋ねてこられ、どう受けとめたらいいかわからないということを打ち明けられた。それぞれにかけがえのない悲しみがあった。しかしそこにはまた、悲しみが響き合うということもあるはずである。

「安危を共同する」ということを「大悲」という文脈で、喜びも悲しみも一緒に共にするということとして、児玉曉洋先生もたびたび語っておられる(『児玉曉洋選集 第一巻』四十二頁など)。ではそれは、我々の日常の中で起こることとしては一体どういう事態なのか。

「安危共同」「同一安危」「同安危」などの語は『解深密経』『瑜伽師地論』『成唯識論』などに見られるが、『成唯識論』には、阿頼耶識の行相のはたらきとして、種子と有根身は、識に執受せられ、

「摂して自体と為す、安危を同じうするが故なり」(『成唯識論』巻二、新導七八頁)

とある。したがって、「安危共同」ということは、ここでは阿頼耶識のはたらきなのである。我々の経験と、いつか、どこかで、誰かとして生きているこの身体をすべて包摂するのは、阿頼耶識だということになる。だから、我痴・我見・我慢・我愛と常に倶にはたらく末那識を依り所に生きている我々が「安危を共にする」といっても、分限を超えているどころか、かえって同一安危のはたらきを妨げることになる。そこに、私自身が私の悲しみを本当に悲しめない、また他者と私が別れている元があるようである。

しかし、外来での出来事や、この一か月半での出会いは、私を、悲しみのその少し先へと導いてくださったように思う。他者の深い悲しみに、自己の悲しみを見たとき、かえって自己の心の深みに触れるということがあるのではないか。死の別れだけでなく、さまざまな形で別れがある。老病死を代表とするような、すべての意味を奪っていくものがある。喜びだけでなく悲しみさえも。私たちは否応なしにその激流に飲み込まれていく。しかしその老病死が奪えない「悲しみ」があるのではないか。存在の悲しみは、「私が悲しむ」のではなく「私を悲しむ」心である。それは悲しみを背負って生きる勇気を与える心である。それは我々の経験以前のものであり、”阿頼耶識の悲しみ”というべきものなのではないか。

曽我量深先生は

「私は『唯識』の阿頼耶識といふのは、即ち『大無量寿経』に説いてある所の弥陀の因位としての法蔵菩薩であると思ふ」(「如来表現の範疇としての三心観」『曽我量深選集 第五巻』一五七頁)

とおっしゃった。その意味をしっかりと確かめたい。

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