同じ方向を向いて(2)

[この記事は『崇信』二〇二六年六月号(第六六六号)「病と生きる(120)」に掲載されたものです]

(前回までのあらすじ)両親を亡くした苦難を乗り越え、大学合格を果たしたご門徒のお孫さんに、突如として精神疾患の急性期症状が現れた。衝動的行動が見られるなか、関わる人たちがみな協力して精神科救急への橋渡しを試みるが、救急システムの壁に阻まれ対応は難航。ついに本人は制止を振り切り、寒空の下、かつての両親との住まいを目指して飛び出した。必死の追跡と病院確保に奔走するなか、ようやく精神科救急の相談窓口から連絡があり、搬送先がY病院に決定した。

自宅に到着すると、お兄様とともに家の中に閉じ籠もってしまわれた。二宮氏はなすすべなく、自宅前で待機していた。間もなく車で江夏氏も合流した。

 Y病院に電話し事情を説明すると、「いつでも受け入れる」と丁寧に対応された。ところが相談窓口の担当者から連絡があり現状を伝えると、思いもよらぬことを言われた。「病院決定から二時間以内に受診しないと無効になり、最初からやり直しだ」と。しかも、やり直しの場合は担当者も変わるのだという。この状況を知りながら、よくそんな心ないことが言えたものだ、とあきれと憤りの入り交じる気持ちで、受話器を強く置いた。

 お祖母様から、お孫さんは後見人の弁護士であるZ先生を信頼しているから、先生なら説得できるのではないかと提案があり、一縷の望みにかけて電話してもらった。すると、説得に応じ家から出てこられた。しかし中から警察に通報していたらしく、警察官が来て事情を聞かれた。二宮氏も江夏氏も仕事で動いているわけではないので、ともすれば怪しまれるところであったが、事情を説明するとすぐに理解され、協力してくださった。

 無事車に乗りこみ一安心した矢先、今度は車内でお兄様が持病のてんかん発作を起こした可能性があると連絡があった。お兄様も極限状態で必死であったに違いない。呼吸状態を確認し、そのまま一緒に受診するよう伝えた。幸い大事には至らなかった。

 午後九時近くなり、ようやくY病院に到着。診察の結果、入院治療が必要とのことで、医療保護入院が決まった。二宮氏と江夏氏が受念寺に戻ってきたのは午前0時を回っていた。強く握手を交わした。

 その後治療は順調に進み、徐々に落ち着きを取り戻して行かれた。試験外泊で高校の卒業式にも間に合い、その後無事退院となった。先日は大学の入学式の帰り道、受念寺の門の前でばったりお会いし、笑顔も見られた。

 お祖母様に見せていただいた高校の卒業文集に心を打たれた。ある発表会で最優秀賞をもらい、祖母や祖母の友人にも褒められたことが書かれていた。しかしそこには、誇らしさではなく「ある後悔」が綴られていた。許可をいただいたので、一部を紹介したい。

よう書けてるって言ってたで、と言われ得意になったのを覚えています。
祖母は一通り褒めた後にこう言いました。
「でも一言もありがとうって書いてないって言ってたわ。私もそうやと思った。」
背後から思い切り杭を打たれたような気分でした。
その夜は涙が止まりませんでした。自分があまりにも情けなくて。
そして自分がなぜ立ち直れたのかを忘れ去ってあたかも自分だけの手柄かのように書いたあの文と祖母を責めました。あんな文書かなきゃよかった。発表会の前に言ってくれたら直したのに、と。
ですが今ではあの文も祖母も好きです。何故か。
あの文のお陰で、祖母の言葉のお陰で
私は自分を成長させることができたからです。
発表会の思い出には少し痛みが伴います。ですがその痛みがあるからこそ私は人への感謝を意識できるようになりました。

と記され、自分を支えるあらゆる人への感謝の言葉で締めくくられていた。さまざまな痛みを抱えて生きてこられたからこそ、痛みを通して大事なことに気づいていかれる人になられた。

今回関わった、二宮氏、江夏氏、Z先生、警察の方、Y病院の先生などの皆さんは、ただ「仕事として」ではなく、どうにもならない痛みを抱えて現実を生きる「同じ人間として」関わり、同じ目標に向かって、それぞれの個性を生かしつつ、粘り強く役割を果たした。誰一人欠けても今には至っていなかっただろう。

 児玉曉洋先生が、ピカソのインタビューとマックス・ウェーバーの「精神のない専門家」という言葉を挙げて指摘していることがある。

ピカソは「眼だけしかもたない画家」、あるいは「腕力だけしかもたない拳闘家」というものを、なんとも馬鹿げたものだといっていますが、このことはさらに我われに近い例でいうと、「お経だけしかあげないお坊さん」とか、「説教だけしかしないお坊さん」 (中略)マックス・ウェーバーは、こういう人びとを「精神の無い専門家」といっています。

(中略)それならば、ある人が絵かきになり、ある人が教師になり、またある人が僧侶になるのは、どういう意味があるのでしょうか。絵かきの場合をとっていうと、「これらの画像に依拠して」、つまり社会的存在として「世の惨事や喜ばしい出来事に心啓かれ」つつ自己を形成する「場」、それが絵なのだ、画像なのだというのです。(中略)世のさまざまの出来事に心啓かれつつ、自己自身を形成するということです。それが「生きる」ということなのです。しかし、これがひっくり返ってしまい、教師になるために生きる、僧侶になるために生きるということになると、それは「人間として生きる」という立場が、失われてしまうということになるのです。(『児玉曉洋選集第二巻』(p. 10-12))

関わった方々がみな、「精神のない専門家」にならず、「人間として生きる」という立場で同じ方向を向いて取り組んだ。そして何よりご本人もまた、痛みを通して「人間として生きる」ことを深める立場に立たれていたから、この困難を乗りこえられたのでないか。入院中も「同じ患者の痛みがわかるようになるための大事な経験だ」とおっしゃっていたという。これからも困難を「生きること」を深く見つめていく機縁とされるに違いない。

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