第1回 三帰依文

(開催日)2023年1月19日(金)20時〜21時30分

(場所)ZOOM

(参加者)岩坂、岸上、平野、平原、三浦(五十音順、敬称略)

(拝読箇所)三帰依文

(学習会のメモ)

0.総論
誰が誰に言っているのか?
└自分が自分に?
└三帰依以外は、講師が聴聞者に?

1.人身受け難し

人身受け難し、いますでに受く。・・・否定と肯定
└大乗思想が表れている?(小川一乗先生)

*ただし出典は『法句経』か。

『ダンマ・パダ』
182 人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。
182. kiccho manussapaṭilābho, kicchaṃ maccāna jīvitaṃ. kicchaṃ saddhammassavanaṃ, kiccho buddhānamuppādo.

他の近い文章は比較的新しいのものか。
『法華傳記』T2068_.51.0093b05−06
至藥王品。流涙歎曰。人身難受。佛教難遇。得好欲燒身。・・・

『鹽山拔隊和尚語録』T2558_.80.0611a06−08
是自己焉。佛法難遇。今旣遇。人身難受。今已受。只放下一切看。山僧恁麽說。諸人恁麽聞。且道。畢竟是何物・・・

『無文禪師語録』T2559_.80.0619b06−07 可以嘉也。嗚呼人身難受。佛法難遇也。父母生我也。父母育我也。・・・

1.1 否定ということ
人は否定でしかつながらない。肯定ではつながらない。(大河内先生)

2.今生において度す
2.1今生に「おいて」→「むかって」というバージョンがある。

*こういう典拠を見つけました。経典ではなく、いずれもよく知らないものですが、

『龍舒増廣淨土文』 T1970_.47.0270c11-14
古語云。此身不向今生度。更向何生度此身。當常念此意。不
可懈怠勸參禪者・・・

『廬山蓮宗寶鑑』 T1973_.47.0328b22-b27
凡我同盟切須深信諸佛所説。眞實非虚。脱苦良方無如念佛。專修淨業期出輪迴。時不待人愼勿疑悔。可謂此身不向今生度。更向何生度此身勸發信心夫阿彌陀佛者。

他にもいくつかありました。

2.2「今生」「いずれの生」について
輪廻思想を否定する仏教と合わない?
「今生」は人間として生まれたということ。「いずれの生」は六道の他のあり方、という読み方あり。

2.2.1 輪廻について

「輪廻」はもともと、必ずしも「生まれ変わり」ではない。

沙門たちの求めた涅槃とは、苦しみの消滅であった。その苦しみは、彼らが創出した輪廻(りんね)(saṃsāra)という発想の中からもうかがうことができる。輪廻という言葉はもと「一緒に漂流すること」を意味した。われわれは、生まれる以前から、たどり着くところもなく、死によっても終ることなく、果てしなく漂流しつづけているという考えである。このような根無し草のごとく漂う苦しみが輪廻という言葉で表現された。(宮下晴輝「シリーズ—仏教のことば (2)」2022年十月号)

流転(saṃsāra)(輪回)とは、苦しみが際限なく繰り返されることを表わす。原意は、ともに流されていくこと、漂流することである。輪回とも言われるが、流転生死(生死を流転する)あるいは輪転生死(生死を輪転する)と漢訳されることのほうが多い。(『大乗の仏道』改訂版)

2.2.2「六道」について
「六道」は人間のあり方、迷いの深さの表現?比喩?

そういう文脈で語られている仏典はあるのか?
└『往生要集』はそう読めるところもあるが、実際は実体的に語られているのでないか。
親鸞においても、単純に比喩ともいえないような実体感をもって語られているのではないか。

2.3「度す」について
「度す」とはどういう意味か。彼岸(涅槃)に至る?仏に成る?救われる?
「救われる」とはどういうことか。仏に成らないと救われない?

2.4「三宝」の読み方
さんぼう、さんぽう。「さんぼう」か。

3.三帰依
3.1「体解」するとは?
3.2「統理」するとは?
3.2.1 「和合僧」ということ。

*三帰依の部分は出典が『華厳経』(『大方広仏華厳経』「浄行品」)
T0278_.09.430c27-431a02
・・・
開導一切 自歸於佛 當願衆生
體解大道 發無上意 自歸於法
當願衆生 深入經藏 智慧如海
自歸於僧 當願衆生 統理大衆
一切無礙 受持淨戒 當願衆生
・・・

4.最後の段落

「遭い遇う」の「遇う」の読み方は、「あう」か「おう」か。
└「おう」とよむ伝統がある。
└「あう」のほうが現代人には意味がわかりすいか。

*ここの出典は“開経偈”と呼ばれる偈

無上甚深微妙法
百千万劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義

しかし経典の出典ははっきりしない。
源信『読経用心』省悟『律苑事規』(一三二四)、『大通禅師語録』(一四二五)、『日用念誦』『浄業課誦付録』などに見られるのみ。