無言の説法
[この記事は『崇信』二〇二五年二月号(第六五十号)「病と生きる(109)」に掲載されたものです] 昨年末のある日、お参りのため朝の支度をしていると、慌てた様子で母から電話があった。父が心肺停止の状態で救急搬送されたとのこ...
[この記事は『崇信』二〇二五年二月号(第六五十号)「病と生きる(109)」に掲載されたものです] 昨年末のある日、お参りのため朝の支度をしていると、慌てた様子で母から電話があった。父が心肺停止の状態で救急搬送されたとのこ...
当直中、看護師から電話が鳴った。患者さんがなかなか部屋に戻らず、不穏な状態で困っているとのことであった。この病院では、体調のよい方はデイルーム(談話室)でテレビを見ながら、一緒にご飯を食べるようにしている。食事が終わって...
これまでの3回で、苦悩に向き合う態度を確かめた。一つには苦悩を確かめるという学びについて、二つには自分自身が問われるということについて、三つには、人間として生きるということについてである。これらを踏まえてALS患者の声の...
前回は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんの言葉からはじめました。 「どうせ死ぬなら殺してほしい」——もう死んでしまいたい。自らが問われていない私は、その「死にたい」という声の奥にある叫びを聞く耳をもっていませんでし...
「先週からちょっと咳がでているんです。いま話題の新型コロナウイルスじゃないでしょうね」診察中一度も咳をすることなく、発熱もない奥様のことを、心配とも世間話ともつかない口調で尋ねられる。奥様はそれを聞いて笑っておられる。 ...