思いと存在と智慧(3)
[この記事は『崇信』二〇二四年一月号(第六三七号)「病と生きる(97)」に掲載されたものです] 前々回から、「立ち直りの物語」を批判する頭木弘樹氏の言説を確かめている。「「病気のおかげで」は本当?「立ち直りの物語」を求め...
[この記事は『崇信』二〇二四年一月号(第六三七号)「病と生きる(97)」に掲載されたものです] 前々回から、「立ち直りの物語」を批判する頭木弘樹氏の言説を確かめている。「「病気のおかげで」は本当?「立ち直りの物語」を求め...
安田理深先生は「『唯識三十頌』聴記」で、このように述べられる。 有漏の諸法を蔵するとは、つまり私が経験をもつということ、それが阿頼耶識である。総じて生活ということを成り立たせる識である。私という言表が、それにおいて立てら...
今日もいつものように痰を吸う音が聞こえる。彼の頸部には穴が空いており、管が入っている。私は彼のもとを週一回訪れるが、いつ行ってもお母さんがおられる。彼が脳の手術後寝たきりになってから、お父さんと交代で毎日病院に来られ、そ...