思いと存在と智慧(1)
[この記事は『崇信』二〇二三年十一月号(第六三五号)「病と生きる(95)」に掲載されたものです] 「病と生きる」と題して二〇一五年九月から書かせていただいている。医師として病の傍らにいるようで、遠いところに立っているので...
[この記事は『崇信』二〇二三年十一月号(第六三五号)「病と生きる(95)」に掲載されたものです] 「病と生きる」と題して二〇一五年九月から書かせていただいている。医師として病の傍らにいるようで、遠いところに立っているので...
[この記事は『崇信』二〇二三年九月号(第六三三号)「病と生きる(93)」に掲載されたものです] 最近、自坊に併設する軽費老人ホーム「受念館」では、職員向けに介護研修を行っている。先月の介護研修が終わった後のことである。以...
[この記事は『崇信』二〇二三年七月号(第六三一号)「病と生きる(91)」に掲載されたものです] 先日、しばらく入院されていたパーキンソン病のかたが退院された。何度か入院しており、今回は前よりも身体の動きが悪くなってきてい...
当直中、看護師から電話が鳴った。患者さんがなかなか部屋に戻らず、不穏な状態で困っているとのことであった。この病院では、体調のよい方はデイルーム(談話室)でテレビを見ながら、一緒にご飯を食べるようにしている。食事が終わって...
苦悩を知らずに この講義では、実際に医療現場で投げかけられた苦悩の言葉と、それを私自身がどう受け止めようとしたかというところから始めた。苦悩に対する私の態度は、当たり前のようにして、苦悩があるのはマイナスで...
これまで「病と生きる」という題のもとに書いてきているが、病と生きるといっても、私自身はいまのところ重い病を抱えているわけではない。昔から体調を崩しやすく、年に何度か高熱を出して寝込むということはあるが、いずれ回復するよう...
前回は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんの言葉からはじめました。 「どうせ死ぬなら殺してほしい」——もう死んでしまいたい。自らが問われていない私は、その「死にたい」という声の奥にある叫びを聞く耳をもっていませんでし...
ある当直の日のことだった。病棟は落ち着いており、何事もなく朝を迎えられそうだと思いながら眠りについた。 午前三時頃、電話が鳴った。看護師が非常に切迫した調子で「とにかく来てください」という。急変かと思ったがそうではな...