自由と平等の乖離
認知症という病気は、患者さん自身の訴えは少なく、付き添いのご家族の訴えが多い。ご家族の心境として、運動の障害ならば心配というかたちで表れるが、同じ障害でも記憶の障害は心配ではなくしばしば怒りになる。 先日も、家で大声...
認知症という病気は、患者さん自身の訴えは少なく、付き添いのご家族の訴えが多い。ご家族の心境として、運動の障害ならば心配というかたちで表れるが、同じ障害でも記憶の障害は心配ではなくしばしば怒りになる。 先日も、家で大声...
遺伝性神経難病の相談会に参加したときのことである。何人かの医師や看護師がグループで相談を受ける側となり各部屋に待機する。そこに患者さんやご家族が入る。私はそのとき初めての参加だったので、勉強させていただくつもりで、遺伝...
いつも定期受診される女性のことである。認知症と診断されているが、一見会話も普通にできるし、一人暮らしをしている。その日はなんとなくふらつくということであった。症状はあまりはっきりしない。このところ私自身の課題として、生...
このところ続けて臨終に立ち会った。先日も当直室に待機していると看護師から連絡が入った。聴診器とペンライトを持って病室に向かう。心停止、呼吸停止、瞳孔散大(対光反射消失)の三徴候を確認し、死亡時刻を告げる。最後に手を合わ...
誰しも自分の思いのままに行動したいと思う。しかしその行動が自他を傷つけるとしたらどうだろうか。以前認知症について、自我が崩れるという観点から考察したが、逆に自我が引き起こす問題についても考えてみたい。 認知症と診断さ...
その日は少し呻き声が違った。お名前を呼びかけると、いつもより少し目を見開き、言葉にならない何かを話された。まさか意識状態が改善してきたかと少し期待し、続けて「調子はどうですか」と尋ねた。しかし私の声は、静かな病室に空し...
いつものように一人の男性が、息子さんに連れ添われ認知症外来に受診された。そのお顔は笑顔とも憂え顔ともつかない、感情がなくなってしまったかのようにみえる。目は合うが、話しかけても返事をされることはなく、私はまだ一度も彼の...
ある介護施設での出来事である。認知症と診断されている一人の女性がデイサービスに通っていた。彼女のことで問題が起こっていると会議で話題となった。他の利用者から苦情がでているというのである。彼女は、レクリエーションなどデイ...
研修医だったときのことである。八十歳代半ばで脳梗塞から寝たきりとなった女性だったが、わずかだが食事も摂れるようになり、徐々に回復しているように思われた。しかしある日、看護師が巡回したとき、彼女はすでに心肺停止状態であっ...
しばらく入院生活が続いていた人が、ようやく退院できるようになった。「やっぱり健康が一番ですな」「そうですな」という会話が挨拶のように交わされるのをよく耳にする。長らく療養生活が続くと、そう言いたくなるのも無理はない。こ...