名が聞こえる場所

[この記事は『崇信』二〇二三年九月号(第六三三号)「病と生きる(93)」に掲載されたものです]

最近、自坊に併設する軽費老人ホーム「受念館」では、職員向けに介護研修を行っている。先月の介護研修が終わった後のことである。以前勤めていた職員のかたが入居しており、一度診てもらえないかと言われた。私を赤ん坊の頃から知っているかたである。症状を聞くと私の専門外であり、何かができそうではなかったが、大変久しぶりでもあり心配でもあったのでお部屋に伺った。懐かしいお顔に会えたうれしさがあったが、食事が摂れず弱っておられる姿は心配であった。気丈に振る舞われていたが、先が見えない不安を懐いているのも感じた。

しばらくすると、以前一緒に勤めていた職員のかたが面会に来られた。このかたも私を小さい時から知っている。自然と昔の話になった。私の子どもの頃のことや、以前この部屋におられた人のことなどであった。

そんな話の中で、この階におられたかたと言えばと、お二人ともが揃って、ある一人のお名前を口にされた。中野さんというかたである。この『崇信』の誌面でも巻頭言(2021年3月号)で少しご紹介した。私はその中野さんが大好きで、よく部屋に遊びに行ったものだった。この部屋を出て左に行った一番奥の部屋である。幼少期の古い記憶をたどると、いつも中野さんのお顔が浮かぶ。そのお顔からは、老病死で失われない尊いものがあると教えていただくように思う。先日も講演の冒頭で少し中野さんのお話をしたが、他の人からお名前を聞いたのは久しぶりだった。

こうしてお二人から口々にお名前を聞いたとき、何か妙に心が揺さぶられ、自分で思い出したのとは違う感覚を覚えた。自分の中にある中野さんが、より豊かに浮かびあがったと同時に、自分自身もまた少しはっきりと照らし出された気がした。たしかにあの時、あの場所に、中野さんと呼ばれる人が生きていて、また中野さんに名前を呼ばれた私がいたのだ。それに、朝、本堂から聞こえてくる正信偈のおつとめや、食堂で皆さんが一同に会して食事をされている姿など、中野さんが生きておられた場所と、そこにおられ名を呼び合った他の人たちもまた、同時に思い出された。

なぜ名号が智慧であり救いなのかということを、仏教の言葉からではなく、日常において名前とは何かと、素朴に確かめることから始めてみようと思ったが、どうやら難しいらしい。日常においても名前は単に符号ではないし、ただ呼ぶものではなく、呼びかけられるものでもあり、敬いを表すものでもあり、教えられるものでもある。皆がその名を呼ぶとき、よりその名の輪郭がはっきりとする。しかし、そういうことを確かめたとしても、「本願の名号は正定の業なり」「しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう」ということがはっきりするわけではない。

 安田理深先生は『名号について』(東海聞法学習会)のなかでこう述べられる。

「単に阿弥陀仏に阿弥陀とあるなら、これは一般的解釈、符号にすぎないのでただ阿弥陀という仏を表しているだけである。しかるに曇鸞が本願の名号として新しく名義を解釈されることになると、阿弥陀仏は阿弥陀仏を表すのみならず、私を語っていることになる。仏の名の中に仏の名において、私が答えられている。仏の名がただ単に仏を語っているのみではなく、私が問いかつ答えられている。私は本願において問われ(南無)、それが光明として答えられている(阿弥陀仏)わけである」

 ただの名と違うのは「本願の」名ということか。仏の名の中に問いと答え、因と果があるという。難しい教学はわからないのだが、私が苦悩の奥底で真実に生きることを問うとき、その問いはすでに仏の名の中にある、と。そしてそれに答えて生きようとする姿もまた名の中にある、ということか。もし南無阿弥陀仏がはっきりしないならばそれは、私がほんとうに私として生きるというときに、これだけは忘れてはいけないという名を忘れて生きているということだろうか。