[この記事は『崇信』二〇二五年六月号(第六五四号)「病と生きる(112)」に掲載されたものです]
認知症を診る外来では、記憶ということに着目することが多い。そして、その記憶が失われることをみな恐れ、悲しむ。
最近何かありましたか?と尋ねたときに、特に何もありません、とご本人が言った横から息子さんが、「この間、孫たちも集まってお誕生日会をしてもらったでしょう」と言う。しかし当のご本人は覚えていない。息子さんは、(せっかく催したのに覚えてないなんて)と言わんばかりにがっかりし、その様子にご本人は、(ほんとうに?忘れているのだとしたら申し訳ない)と思っておられるのか、何ともいえない当惑したお顔をされる。
誰かが腕を怪我して物が持てないとき、持てないからと言ってがっかりしたりせず、代わりに持ってあげるでしょう。だから記憶が保てないときは、周りの人が代わりに持てばいい。がっかりしなくていいと思います。みんなで記憶するということでいいのではないでしょうか。
そんなことを言いつつ、先日のお参りでの自分の出来事を思い出していた。お参りに行った先でお会いした方は、むかし幼稚園の先生をされていた。その幼稚園は、実は私が通っていたところだったのである。ちょうど年長組のときであった。四〇年以上前のことである。私は全く覚えていなかったが、先生はよく覚えておられた。自分というのは、自分の記憶で成り立っているものだと思いがちであるが、自分も忘れている自分が、他者の記憶の中にあるのだと改めて知った。
そんなとき、たまたま『月刊同朋』の記事が飛び込んできた。「記憶」がテーマで、恩蔵絢子さんという脳科学者と加来雄之先生との対談であった。恩蔵さんは高校生のとき、学歴で人間を決めるような価値観に苦しみ、不登校になっていた時期があったという。もうどうにもならなくなったとき、お母さまが黙って抱きしめてくれた。私がどうなっても受け入れてくれる人がいるのだということが、その一回のハグから伝わってきたという。それなのに、母が認知症になったときに、母にもっとしっかりしてと怒っている自分がいて、あるときこれは自分がしてもらっていたこととは逆のことをしていると気がつかれた。
「何もなくていい」という経験で救われたのですから、もし私が「何かができなければ母じゃない」といってしまったら、母からしてもらったことと矛盾しますよね。
と述べられている。そして恩蔵さんは、私も母のようにありたいと願われた。それに対して加来先生は、誰かのために「何もなくていい」と受け入れる人になりたいと思えた経験はとてつもない大事なことだと言われ、
親鸞という方が「ただ念仏」という生き方を大事にされたのは、それが個々の才覚、性差や階級など、人間の一切の条件を問わない世界を思い出させてくれるからです。
と答えられている。また、
仏教に「摂取して捨てたまわず」という言葉があります。あらゆる苦しむ者を摂め取って捨てない、と。その言葉が表すような関係、それが大事なのでしょう。この関係はどうしても壊れません。この関係は、その人が生きているか、死んでいるかさえ問いません。人間の深い悲しみを見つめ、それを背負おうとしている何か、その何かに出会うこと、そのことが、私たちが関係を安心して生きていくうえで、きっと必要なのでしょう。
と述べられている。「その人が生きているか、死んでいるかさえ問いません」どうなっても見捨てないという関係は、人の一生という狭い範囲に留まらないという。とすれば、自分の記憶の範囲を超えた遙かなる記憶の中に、「何もできなくていい、ただあなたがあなたとして光ればよい」と願われ、「はい、私はそうありたいと思います」と応えるという関係があるということである。
私は、私が記憶し、その記憶の範囲で、何かを考え、何かを為して生活している。その記憶の外側といったらいいのか、深い内側といったらいいのか、そういうところにある大事な記憶を、私は忘れて過ごしているのかもしれない。しかしそれは記憶障害では消えないものである。






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