人間であると信じる
[この記事は『崇信』二〇二三年五月号(第六二九号)「病と生きる(90)」に掲載されたものです] 先月ご紹介したジャズの歌手の患者さんのことである。その後のことはあえて記さなかった。実はその後、家に帰りたいと言うことはほと...
[この記事は『崇信』二〇二三年五月号(第六二九号)「病と生きる(90)」に掲載されたものです] 先月ご紹介したジャズの歌手の患者さんのことである。その後のことはあえて記さなかった。実はその後、家に帰りたいと言うことはほと...
問題の出発点 前回から、ALS患者の苦悩を、釈尊の四門出遊の課題を通して確かめ始めている。ALSの患者が、完全な閉じ込め状態(TLS)になっては生きられないと言う声、寝たきりのALSの患者が「死にたい」と言...
これまでの3回で、苦悩に向き合う態度を確かめた。一つには苦悩を確かめるという学びについて、二つには自分自身が問われるということについて、三つには、人間として生きるということについてである。これらを踏まえてALS患者の声の...
前回は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんの言葉からはじめました。 「どうせ死ぬなら殺してほしい」——もう死んでしまいたい。自らが問われていない私は、その「死にたい」という声の奥にある叫びを聞く耳をもっていませんでし...