意思決定支援が見逃していること
[この記事は『崇信』二〇二三年三月号(第六二七号)「病と生きる(88)」に掲載されたものです] 昨年十二月、「本人の意向を尊重した意思決定のための相談員研修会」というものに参加した。意思決定を支援する相談員の育成と、AC...
[この記事は『崇信』二〇二三年三月号(第六二七号)「病と生きる(88)」に掲載されたものです] 昨年十二月、「本人の意向を尊重した意思決定のための相談員研修会」というものに参加した。意思決定を支援する相談員の育成と、AC...
新型コロナウイルスの第四波が襲う五月、私の外来に通うCさん(仮)が新型コロナウイルスで亡くなった。そのころ関西圏では重症化しても入院できない事態に陥っており、Cさんも入院できず自宅で亡くなったと連絡があった。私自身、医療...
研修医だったときのことである。八十歳代半ばで脳梗塞から寝たきりとなった女性だったが、わずかだが食事も摂れるようになり、徐々に回復しているように思われた。しかしある日、看護師が巡回したとき、彼女はすでに心肺停止状態であっ...
私のいる受念寺《じゅねんじ》は、軽費老人ホーム「受念館《じゅねんかん》」と一体となった形をとっている。先代の住職が五十年程前に開設した。子供の頃から部屋を出るとすぐそこに入居者の方々がおられ、よく遊んでもらった。 時には...