問いがもてなくなるとき

 遺伝性神経難病の相談会に参加したときのことである。何人かの医師や看護師がグループで相談を受ける側となり各部屋に待機する。そこに患者さんやご家族が入る。私はそのとき初めての参加だったので、勉強させていただくつもりで、遺伝性神経疾患の研究で著名な医師と同じグループに入った。

 相談会が始まった。疾患によっては進行を遅らせる治療ができるものもあるが、基本的には根治療法がない。したがって、治療できないことが前提で話が進む。そんな中で、相談者の方がしびれを切らしたようにこう言われた。「さっきから聞いていると、治らないという話ばかりだ。あなたたちは専門家でしょう。いいかげん希望のある話をしてください」その口調は悲しみや苦しみというよりは、大きな怒りをあらわにした激しいものであった。

 それまでの医療者側の応答は、医療の立場に立つ狭いものではあったが、治療ができないならば何ができるのか、といった謙虚なものであったように思う。ところが、その怒りが投げかけれた途端、希望というのは治すこと以外に許されない、「治療ができないならば何が希望か」という問いが出ること自体許されない雰囲気となってしまった。

 ここはその疾患の大家である医師が話すしかない流れとなり、その先生は最近の研究成果などを語り始め、これだけこの疾患の研究は進んでいる、近い将来必ず治るように頑張りたいという旨の話をした。相談者の方は、納得とまでは行かないまでも、少し落ち着きを取り戻された様子であった。希望は治癒以外には全く考えられない、その思いは非常に切迫したものであることが伝わる場面であった。

 「治療ができなくても希望はある」私はその立場に立っているつもりであったが、その場で何も言うことはできなかった。それは自分自身が切迫したかたちで病に直面していないということからくる自信のなさの現われだろうか。私のいう「希望」に対して、私は、私自身の困難の中をどこまでも貫き通すような徹底した信頼が確立しているのかが問われる場面であったといえる。

 私は、「泥の中から/蓮は花咲く/そして/宿業《しゅくごう》の中から/僕は花咲く」(『点滴ポール 生き抜くという旗印』)と言った岩崎航《わたる》さんなら何と言うだろうか、と考えていた。自らが遺伝性筋疾患である筋ジストロフィーを抱える岩崎さんだから言えることがあるのだろうか。岩崎さん自身がこの言葉が生まれる困難さを最も知るだけに、かえって簡単には言えないかもしれない。もしこの場でこの宿業という言葉を口にすれば、それはおそらく運命論と誤って捉えられ、かえって相手を縛る言葉になりかねない。「宿業の中から花咲く」という自在性をはっきりさせるためには、『歎異抄』第十三章「本願をうたがう、善悪の宿業をこころえざるなり」が読めなければならない。これをこの方とともに読める時はくるのだろうか。逆に、私自身がこれを読めなくなる時がくるのかもしれない。「治療ができないならば何が希望か」と問える状況ですらなくなったとき、そこからどうやって再び歩みだすことができるのかという課題がある。

[『崇信』二〇一八年十一月号(第五七五号)「病と生きる(39)」に掲載]

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