他力の掌中にある

[この記事は『崇信』二〇二三年二月号(第六二六号)「病と生きる(87)」に掲載されたものです]

昨年(2022年)の年末、とうとう新型コロナウイルスに感染した。たいへん苦しい経験であった。執筆している現在も倦怠感が残る。今回は自分自身の病ということについて、短期間のことではあるが少し記しておこうと思う。

初日は少し強めの頭痛と咽頭痛であった。このところ勤務先の病院ではクラスター(集団感染)が起こり、私自身も新型コロナに感染した患者さんを診察する機会も多くなっていたため、これは感染したと思い、抗原検査とPCR検査をしたが、陰性であった。しかしかなり疑わしかったので、勤務は休みにし、自主隔離を行なっていた。

二日目、三日目は軽い風邪のような症状であった。この程度であれば感染しても大したことはないなと甘く見ていた。三日目に自分で抗原検査をもう一度行なったが陰性であった。

四日目、徐々に熱が出始め、鼻汁と頭痛が急にひどくなった。そこで再び抗原検査を行なったところ、陽性となった。インフルエンザともまた違う、あまり経験のない強い重だるさが襲ってきた。

五日目、一気に三十九度近くまで熱が上がり、激しい頭痛に見舞われた。頭痛薬を飲んでも一向に収まらない。頭痛がひどく眠ることもできない。鼻汁も悪化し、鼻の奥に表現しようのない鈍痛を伴う不快感が増していく。起きても横になってもつらい、身の置き場のない感じが続く。

六日目、朝を迎えたとき、症状が変わらなかったときには気持ちが折れそうになった。永遠に続くような感じがした。医学的には肺炎に至らないものを「軽症」と呼ぶ。軽症ならいいじゃないかと考えがちであるが、軽症でも非常に苦しいということを、身をもって知った。ましてやそれ以上に悪化すればどれほどの苦痛だろうか。新型コロナで亡くなった患者さんのことを思い出した。これよりももっと苦しい思いの中で亡くなっていかれたのだろうか。病を受け容れるということは簡単には言えないし、よい経験をしているともとても思えない。とにかく早くよくなってほしい、元に戻ってほしいという思いが支配する。

清沢満之先生の「絶対他力の大道」に「我らは絶対的に他力の掌中にあるものなり」(『清沢満之全集第六巻』一一一頁)とあるが、「臘扇記」では同じ文章に続いて、「しかれども日常普通の現象は、かえって吾人を正反対の思念(万物は個々独立自在なりという思念)に誘惑して止まず」(『清沢満之全集第八巻』三九二頁)とある、と児玉曉洋先生は指摘されているが(『児玉曉洋選集第十巻』四一七頁など)、そのことを思い出した。たとえこのまま命を落としたとしても満足の人生であったと言いたいという「思念」と、やはり元に戻って生活を取り戻したいという「思念」と、結局「日常普通の現象」としては、自分の「思念」の中でゆらゆらとゆらぎ、「他力の掌中にある」という事実に立って生きることができないということを思い知らされる。

しかしまた、単にゆらいでいただけでもなかった。このことがなければ感染した方々の苦しみに思いをめぐらせる機会を逃していただろう。病に少しかかったからといって、その苦しみがわかるなどとはとても言えないが、頭で考えていただけのときよりほんの少しだけ、深く受けとめる契機となった。そのことは同時に、先にさまざまな苦悩の中を生きた方々の姿が私を支えたとも言える。隔離生活をしていたため孤独であったが、孤立していなかったと思うのは、家族の支えはもちろんのこと、先に苦しみを乗り越えた方々の御陰でもあった。苦悩を共にする心に支えられる。ただ苦しいというだけで終わっていた経験が、自分の思念を超えて、自分を支えるものと自分を苦しめるものの有様を知らしめるはたらきとなる。そういうことから、他力に背く私が、なお如来のはたらきの中に生きるとはどういうことかを確かめることができるのではないか。

七日目、少し症状が軽くなり先が見えてきた。その後数日療養し、ようやく解熱剤を飲まなくても発熱しないようになった。長い長い十日間であった。