ほんとうの悲しみ

私のいる受念寺《じゅねんじ》は、軽費老人ホーム「受念館《じゅねんかん》」と一体となった形をとっている。先代の住職が五十年程前に開設した。子供の頃から部屋を出るとすぐそこに入居者の方々がおられ、よく遊んでもらった。

時には最期を看取ることがある。先日も一人の女性が亡くなられた。新たに見つかった病気は末期で、寝たきりになってしまわれた。しかし最期はここで、ということで入院は希望されなかった。

ある日、私が月参りを終えて戻ると、看護師が彼女のことで相談があるという。苦痛があるのですかと尋ねるが、特にないという。でも先生…。苦痛はないのですが「生きているのがつらい」と言われるのです…。

私は難病で寝たきりの患者さんとの話を思い出した。困っていることはないか尋ねても、彼は特にないという。しかしこんな風に生きていて何の意味があるのか。未来に希望がない、だから生きていること自体がつらい。そう言われた。そのとき私は、仏教の学びを何か言葉にできないかと気負っていた。そして凡そこのようなことを言った。「生まれてきてよかったといえる道を見つけましょう」と。それを聞いた彼の悲しそうな眼を今も忘れることはできない。

哲学者の清水哲郎氏は著書の中でこう述べる。死を受け容れられないことについて、

「…その悲しみはないほうがよいと、死に直面しても歓びの日々である方がよいと、誰が評価できようか。悲しいのは当たり前ではないか。それを「スピリチュアル・ペイン(痛み)」というならば、痛いのが普通であって、ことさらその人に援助の手を伸べなければなどと思う方がスピリチュアルに思い上がった姿勢であろう。」(『医療現場に望む哲学』一五三頁)

苦悩を前にしたとき、それがなくなってほしいと思うのは自然なことだろう。しかし私は苦悩の外ばかり見て、苦悩の何たるかを見ようとしていなかったのではないか。その苦悩の内にこそ、飾ることのない人間のほんとうのすがた相があるのではないか。あの時、彼の眼はこう言っていたのかも知れない。「道を見つけようとも思えないから苦しんでいるのではないか。あなたはほんとうの悲しみをわかっていない。」

私は私で悲しむ。あなたはあなたで悲しむ。そこには交わりがない。もしも「共に」ということが成り立つならば、それは苦悩をなくしたいという「私」の悲しみにおいてではなく、苦悩を苦悩としてしか見られない「存在」の悲しみにおいてではないか。「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」(たとひ身を諸の苦毒のうちに止《おわ》るとも、我が行、精進にして、忍びて終《つい》に悔いじ)(「嘆仏偈」真宗聖典十三頁)苦悩の真っ直中を生きる勇気を与える、この力強い願いの心のそばを通り過ぎる悲しみにおいてではないか。

私は間衣のまま彼女の元へ向かった。よく来てくれましたと歓迎された。色々とお話をした。最後に私は「また遊びに来ていいですか。」と尋ねた。「是非また来て下さい。」そう答えられた。その一週間後、静かに息を引き取った。

葬儀には入居者の方々が列席されていた。寂しさの中で、何か皆がその往生の姿を讃えておられるようでもあった。私はお浄土に帰られた彼女の元に、約束通りまた遊びに行かなければならない。

[『崇信』二〇一五年十月号(第五三八号)「病と生きる(2)」に掲載]