「私は死んだ」そんな奇妙なことを言うのだ、と認知症外来でご家族から相談があった。夢を見たとか、そういうことではなく、死んだのだという。あまり流暢にはお話はできないが、直接尋ねても「そう、死んだ」とそこだけははっきりと答えられる。ご家族は横で「ほら、こうやってお話しできるのは生きているからでしょ」と言われるが、やはりまた「死んだ」と繰り返される。そこで「生きている実感がわかないということですか」と聞いてみたが、首を傾げてそうではないのだ、というお顔をされている。はっきりとした現実感をもって死を語っておられる。
それは身体の死ということではない、何らかの死を意味していると思われる。しかし、他に精神的な死とか、社会的な死などと言ってみてもなかなか当てはまらない。以前にも認知症によって自我を失うということについて取り上げたが(「病と生きる(34)「自我と自己」二〇一八年六月号)、ここでも私が私でなくなる、自我が崩れるということが問題になっているのではないか。記憶が失われる。今までできていたことができなくなる。私だと思っていたことが崩れ、どこにも自己がみつからない。自己が自己自身との関係を失うといってもいいのかもしれない。そう考えると「私は死んだ」というのは譬えではなく、文字通り「私」(自我)は死んだということではないだろうか。
しかしさらに確かめないといけないことは、実はこの方が言うには、死んだのは「私」だけでない。「みんな死んだ」とも言うのである。自分以外の他者も皆死んだ。ということは、この方のいう「死」は個人的なことにとどまらない。それは一体どういうことだろうか。
「私」の死ということが、自己の自己自身との関係の喪失であるならば、自分以外のすべての他者の死ということは、自己と他者との関係の喪失といえるのではないか。そこに身体をもつ生命として生きてはいるけれども、もはや自分と関係のないものとなってしまった、人間としてのつながりが断たれてしまったということではないか。
児玉曉洋先生は、我執にもとづく我われの「分段生死」というあり方を、「生と死の分段」と「自と他の分離」と押さえられるが、「私は死んだ」と「みんな死んだ」という言葉は、まさにこのことを言っているのではないだろうか。先生はまた、「浄土は、「般若(根本無分別智)と大悲の動的統一である願心のはたらく領域」であるのだから、そこではもの皆が一つひとつ個性に輝きながら全体として調和している。そこは(中略)生と死の分段と自と他の分離がない。」(『児玉曉洋選集第四巻』二六一頁)とも言われる。
不可逆的な死でなければ、もう一度生まれなおすということもできる。私はこの日の診察を「生きていたら来月お会いしましょう」と言って終わろうとしたが、もう一言ふと「僕が死んでいたらお会いできないですが」と付け加えた。すると、今までまったく笑わなかったその方が声を出して笑った。「先生は死なんでしょう」と。「お互い生きていたらお会いできますかね」と言って、その日の診察は終わった。
[『崇信』二〇二〇年七月号(第五九五号)「病と生きる(56)」に掲載]
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