第14回 ほんとうの希望とは何か(2)—生きる意欲と出会い

テーマ
生きる意欲を支える出会いとは
要旨

絶望の中を歩み出したという事実に出会うことは、人に生きる力を与える。その出会いが成り立つのは、その事実が個人的なことがらなのではなく、一人の人間が「人間として」苦悩したことだからである。その苦悩の心が、同じく「人間として」苦悩した人物に出会わせる。しかし我われはほんとうの意味で「人間に出会う」ということができない。分別を根拠にする出会いは自我の関心の中のことがらにしか出会えず、自我の外に敬うべき者に出会えない。人間が人間としていのちを全うした、ほんとうの人間に出会う場所に生まれることが願われている。

 

渇愛と清浄意欲

前回は、生きる意欲ということについて学んだ。我われには「私が私でありたい」「私としていのちを全うしていきたい」という願いがある。その願いは人間の根本であるともいえるが、我われはほんとうに欲しているものを知らずに求めるために、その願いは「自分の思い」であり、その中で行き詰まり、ときに自他を傷つける。したがって、どんな心が自己を求めるかということが問題である。「私が私でありたい」と願う心には、いのちを傷つける心といのちを愛する心がある。我われはいのちを量り、いのちを傷つけるようなところにいるが、だからこそいのちを量らず無条件に愛するところに生きよと願われている。仏教の思索の歴史は、「私が私でありたい」と願う心において、「思いどおりにしたい」という「渇愛」が行きづまった底に、ほんとうの自己を生きることを支える「清浄意欲」「願」を見出していく。そのことは、前回紹介した『はてしない物語』においてバスチアンが『生命の水』を飲んで、「あるがままの自分自身でありたい」願ったことや、岩崎航氏が、「人と比べて嘆いてばかりいる」のではなく、「病気を含めての自分」を生きるという歩みを歩み出したことと関わることがらであるといえる。

 

敬うべき者との出会い

我われは、その「絶望の中を歩み出した」という出来事を、特別な人だからできたこと、個人の力によって成し遂げたことのように解釈しがちである。しかし、そうであればその出来事は個人的なことがらであり、それを経験したことのある人だけのことである。ところが岩崎氏の生き方が、多くの人に生きる力、生きる意欲を与える。それは、岩崎氏の経験したことが、特別な人の個人的なことだからではなく、一人の人間が「人間として」苦悩したことだからである。一人の人間が「人間として」苦悩したことが、人と人とを出会わせるということがある。

岩崎氏のことを授業で学んだある高校生N.T.さんは、作文の中で「死のうと思ったことがあった」と打ちあけ、このように記す。

今、実はすごく悩んでいて、正直すごくつらいです。突然、涙があふれることもあります。こんなままで生きていて、つらいことばかりなのではないか、と思うことがあります。でも、岩崎さんのお陰で、「生きてやろう」という強い炎のような思いが私の支えとなってくれました。岩崎さんに出会えたことは私にとっての新たなスタートラインとなりそうです。(「生きてやろう」二〇一八年度小松大谷高等学校宗教科文集『預流』第三十六号)

「岩崎さんに出会えたことは私にとっての新たなスタートライン」となったというように、このN.Tさんにとって、岩崎氏に出会ったことは新しい歩みの始まりとなった。N.T.さんは、岩崎氏が病を抱える中で、その病により生きる意味を失うという、絶望の中にいたという姿に出会った。それは自分の苦悩を知る人に出会ったということである。境遇が違うにもかかわらず、そのように出会えるのは、岩崎氏の経験したことが、個人的なことがらではなく、一人の人間が「人間として」苦悩したことだからである。そしてその苦悩を乗り越えて、自分自身に帰って、病を抱えたままの自分を生きようする姿に出会った。人間が人間としていのちを全うしようとする姿に出会い、「岩崎さんのように生きたい」という願いが起こったのである。その生きる意欲は、自我の欲求をみたす意欲ではなく、自分自身を生きようとする意欲である。

その願いは自分に起こったことであるが、自己の外に、自己の苦悩に出会い、そしてその中を生きる人の姿に、なるべき人間の姿を見たからこそ起こったことである。自己の外に敬うべき者に出会うことで、自我が破られて、自己の内なる自己自身に出会う。児玉曉洋先生はこのように言われる。

孤独というものの一番深い定義、すなわち自分以外に信ずるものが何もないという意味において、彼らは孤独なのである。彼らは自己の世界の閉鎖性の故に、自己の外に成るべき人間のすがたをもたず、それ故に、自己が孤独から癒されることを望むことができないのである。そしてこの孤独から癒されることを望むことができないということこそ、現代の「最も大きな病所」ではないのか。(「ドストエフスキーの主題によるバリエーション」『児玉曉洋選集第1巻』p.373)

われわれは「自分以外に信ずるものが何もない」というところにいる。自分の欲求をみたすことが最も大事なことであり、それを最優先してあたりまえと思っている。したがって、「自己の世界の閉鎖性の故に、自己の外に成るべき人間のすがたをもたず」に生活しているといえる。自分の欲求をみたすということ以外に、なるべき人間として敬うべき姿に出会えないような生き方をしているのである。仏教の物語は、そういう敬うべき者に出会えないということをわざわざ描いている。邪命外道のウパカが、世尊と出会った時のことである。

「(略)私は法輪を転ずるためにカーシの町に行き、盲闇の世間において不死の鼓を打ちならすであろう」と。
「友よ、あなたが主張されるとおり、あなたは無限の勝者にふさわしい」と。
「漏の消滅に達した者たちは、私のような勝者となろう。
悪しき諸法を私は克服した。だから私は勝者である、ウパカよ」と。
このように言われた邪命外道ウパカは、「あるがかもしれんの(ありうることだ)、友よ」と言って、頭を横に振りながら、脇道をとって去って行った。(『パーリ律 大品』 (1.6.7-9) Vinaya-piṭaka, Mahāvagga, 1.6.7-9 Upako ājīviko, vol. 1, p. 8 『改訂 大乗の仏道』資料編p.65-67)

我われは、敬うべき者が目の前にいるのに、自分の欲求をみたすということ以外に、ものごとをみるものさしを持っていないために、なるべき人間として敬うべき者に出会えないような生き方をしているのではないか。出会うといっても、私自身が何を依り所としているのかによって、その出会いの意味が変わる。

 

出会いの根拠

我われの日ごろの思いは、「こうあることがよいあり方である」という「分別」(自分のものさし)の中にある。その分別にもとづいて人と出会うならば、例えば「能力」が高いことがよいあり方であるという分別に基づくならば、その出会いは、仕事ができるから、役に立つから出会うという出会いであり、能力が衰えれば離れ、能力がない人間は価値がないと見なし見捨てていく。第11回で学んだように、そのような「仕事ができなければ価値がない」「自由に動けなければ価値がない」などという私自身が「分別」をもってみるならば、病を抱えて生きる人が「生きたい」と言えなくなるようなつながりの一端を担っているのではないか。そしてその「分別」に基づく人との出会いは、「人間」に出会っていると言えるか。「自我の関心」に出会っているだけに過ぎないのではないか。「自我の関心」の中にないものには出会えないのである。例えば岩崎氏に出会った高校生は、自分の欲求をみたすという関心で出会ってはいない。岩崎氏の何に出会ったのか。

そのことを確かめるにあたり、ここでV.E.フランクルの言葉を通して学びたい。『苦悩の存在論』の中で、三つの価値ということをいう。一つは創造価値、つまり何かをつくりだす、生産するということに価値を見る見方である。二つに体験価値、何かを体験する、美しいものを見る、美味しいものを食べるというような価値である。これらは普段の我われの生活において大事にされるものであるが、これらは限定的であるとフランクルは指摘する。

 創造価値の実現のためにわたしが必要とするものは、結局のところなにかある才能であり、これをわたしはそのつど所有しなければならない。もしその才能をわたしがもっていればただ使用するだけである。体験価値を実現するためには、同じように、すでにわたしが所有しているもの、すなわちそれ相当の器官を用いる。たとえば交響曲を聴くためには耳を、アルプスの夕映えを見るためには眼などを用いる。(V.E.フランクル『苦悩の存在論』p.107-108)

このように何らかの才能や器官の能力を所有しなければならない。したがって、それは老病死によって崩れるものでもあり、それゆえ限定的であるということである。それに対して、制約なく、「いっそう価値を実現する機会を与える」という「態度価値」ということをフランクルはいう。自分の置かれている苦悩に対してどういう態度をとるのかということである。

ひとりのひと「である」人格が、ひとりのひとが「もつ」性格と折り合いながら、そして、人格が性格に対して態度を決めながら、人格は性格並びに自己自身をたえず改造し、人格性へと「なる」。このことはまったく、私であるところのものに適って私が行動するだけでなく、また私が行動する仕方にしたがって、私は成る、ということを意味するにほかならない。
人間は「自分」を決断する。人間は、人間である決断する存在として、ただ何かを決断するのではなく、むしろまたそのつど自分自身を決断する。全ての決断は自己決断であり、自己決断は常に自己形成である。私が運命を形づくりつつ、私であるところの人格は私がもつ性格を形づくる。すなわち、私が成るところの人格性が、「みずからを」形づくっていくのである。(同上p.109-110)

一人の人間が、さまざまな苦悩を抱えながらも、自分自身を生きたいと願い、生きる。老病死の苦悩によっても輝きを失うことのなく、自分自身のいのちを生きる人間になろうとする。そういう「態度価値」に出会うということがあるのではないか。あるいは、老病死の苦悩によっても輝きを失うことのないいのちを生きてほしいという願いに出会うといえるのではないか。

死のうと思ったことがあるという高校生N.T.さんは、絶望を乗り越えて生きようとする岩崎氏の姿と出会い、岩崎さんのように生きたいと願った。そして岩崎氏ご自身も、生きる意欲を支えるさまざまな人間の生き方に出会っていることを、著作の中で語られている。詩との出会い、人との出会い、そして母の心との出会いである。岩崎氏の母は、岩崎氏の苦悩をそのままに受け止める。病だから不幸だという見方をしない。他と比べることなく、存在をそのまま受け止める心をもって、病で輝きを失うことのなく、自分自身を生きて欲しいという願う。たとえば岩崎氏はこのように語られる。

激しい吐き気に襲われ、背中を丸めて苦悶していると、
母は僕の背中をどこまでもさすり続けてくれた。
「ああ、自分はなんでこんなにも、絶え間のない地獄の中で生きていかなければならないのか。」
悔しくて、辛くて、涙が止まらなかった。
母は黙って僕の背中をさすり続けた。
あるとき、その地獄のまっただ中で、僕の中にパチンと何かが弾けるような一つの感情が生まれた。
「自分は今、苦しみの地獄にいるけれど、そばにこうして背中をさすり、励まし、祈り続けてくれる人がいるではないか。」
親でなければ、いったい誰がこんな地獄に寄り添ってくれるだろうか。
理屈ではなく、何か大きな感情が、僕の中からこみ上げてきた。僕の苦しみを自分の苦しみとして、そこにいてくれる人の存在。
そう思うと涙がポロポロこぼれてきた。(岩崎航「母の手」『点滴ポール 生き抜くという旗印』p.108-109)

「僕の苦しみを自分の苦しみとして、そこにいてくれる人の存在」と岩崎氏は受け止めた。「病を含めた自分自身を生きたい」という願いは自分自身に起こったことであるが、それは岩崎氏の苦悩を自分のことのように受け止めてくれる母の心、また病であっても輝きを失うことなく自分自身を生きてほしいと願う母の心に出会ったということに支えられている。あるいは、詩の中に自分の苦悩を見たこと、中学生のときに出会った出会い、そこに「人間」に出会い、「人間存在をあるがままに見る心」に出会うということがある。そしてその出会いはつながる。岩崎氏の母の願いが、岩崎氏を生かし、岩崎氏の願いが、高校生を生かす。

ALSに罹患した報道記者の谷田人司氏という人物がいる。「生きることを選んで」(2012年2月11日テレビ朝日)という番組に出演された。症状が進行し、呼吸障害が進んだとき、人工呼吸器を装着して生きることを選んだ。その選択には、谷田氏が記者時代に出会った、癌患者の三成さんという人物の存在があった。病の中を生き続けることの意味を、最後まで命を燃やした三成さんの姿から学んだという。命尽きる瞬間まで、命を燃やし尽くした人物に出会い、私もそう生きたいと願う。病をかかえた自分自身を生きるということを支える出会いがあった。

このように、一人の人間が、様々な苦悩を抱えながらも、自分自身を生きたいと願い生きる。その姿に出会って、自分も「あなたのように生きたい」と願い生きる。そのような自分自身を生きることを支える出会いのものがたりが、仏教において語られる。その一つが「燃灯仏授記物語」である。

 

燃灯仏授記物語のもつ意味

「燃灯仏授記物語」はジャータカ物語の一つである。ジャータカというのは釈尊の前世というかたちで語られる菩薩の求道物語である。では、前世の釈尊はいつから菩薩となったのか、つまりいつから道を求める歩みが始まったかという問いが起こる。それはこれまで確かめてきた、絶望の中からどのように歩み出したのかという問いでもある。最初のジャータカという意味でジャータカのジャータカである。その出発点に仏陀との出会いがあったという物語である。形の整ったものとして『四分律』に伝えられるものなどがある。

釈尊が前世においてメーガという青年だったころ、燃灯仏(錠光如来)という仏に出会う。燃灯仏に出会ったメーガは、仏を供養し、「あなたのような仏陀になりたい」と誓願する。仏陀はメーガに、「未来に釈迦牟尼仏となる」と授記する。メーガはそこから、その誓願を達成するために、菩薩として歩みを始めるのである。

この物語は、青年メーガが菩薩として歩み始めるその出発点に、仏陀との出会いがあったことを描く。仏陀に出会ったということは、仏陀を仏陀として見たということである。それは、老病死によって崩れるようないのちを生きる我われの苦悩を乗り越えて、老病死で輝きを失うことなく、ありのままの自己のいのちを生き抜いた人物として見たということである。存在に優劣をつけずにありのままのいのちを愛そうとする者として見たということもできる。そのように仏陀に出会うということは、自分の欲求をみたすという関心からは成り立たない。自分の欲求をみたすことの外に、敬うべきものを見ることができないからである。自分の欲求をみたすということが行きづまった底に、それでも人間が人間としていのちを全うしたいという真実を求める心が、人間が人間としていのちを全うしようとする態度に出会わせたといえる。私よりも私の苦悩を知る者に出会うという意味では「智慧」に出会ったのであり、あらゆる苦悩を知るという意味でともに苦悩する者に出会ったという意味で、「大悲」に出会ったことが、メーガの誓願となったのである。後の論書において、願について、「清浄の意欲を以て其の体と為す。般若(智慧)に依るが故に清浄を得、大悲に依るが故に意欲有り」(『摂大乗論釈』)と説かれるのは、このようなことを背景としているといえる。すでに人間としての苦悩を乗り越えた人がいる。その人物の「智慧」と「大悲」で出会うことが誓願ということの背景にあるのである。

このように、人間としての苦悩を乗り越えた人に出会い、生きることが新たに始まるという誓願の物語を通して、先に見た、癌を抱えて命を生き抜いた三成さんに出会った谷田さん、岩崎さんの母の願いに応えて生きようとする岩崎さん、そして岩崎さんに出会った高校生の関係を振り返ると、そこに生きる意欲を支える出会いの意味を確かめることができる。そしてまた逆に、実際の医療現場や日常生活を振り返ったとき、かえって生きたいという意欲を失わせる出会いがあることが浮き彫りとなる。

「分別」を根拠とした出会いは、「自分のやりたいこと」「自分の思い」という個人の欲求の以外に「人間」を見ることができない。したがって、「自分の思い」以外に信じるものがなく、「自分の思い」の中を出ることができない。「こうなっては生きていく意味がない」とする分別だけが連鎖し、他者と本当の意味でつながれない。一方「願」を根拠とした出会いは、外に成るべき人間の姿を見る出会いであり、老病死で崩れないいのちを生きた人物であると信じることでもある。それは内にある本当の自己に出会い、自己自身を生きようとすることでもある。それは願に応えて「同じ人間として」の課題を乗り越えるという意味で、他者と同じ人間としてつながることでもある。「願」を根拠とする出会いが、「私が私でありたい」ということの意味を転換するのである。そしてそれは、「分別」という作ったものではなく、「願」という賜ったものによるのである。

このような、人を生かす出会いという意味で、最も研ぎ澄まされた形が、仏も過去に仏に出会った、という形で描かれているといえるのではないか。古い伝承では、過去七仏としてその出会いの歴史が表されている。宮下晴輝先生は古い経典を紹介してこのように記す。

たとえば森の中の古道を辿ってついに古い城を見いだした人のように、釈尊は過去の仏陀たちの歩んだ古道を見いだした。その古道とは、八正道であり、その道にしたがって老死の苦の因を知り、滅を知り、滅にいたる道を知った。(宮下晴輝「シリーズ ― 仏教のことば(31)過去七仏」『崇信』2015年3月号))

釈尊が見出した真実というのは、釈尊以前に既にあった真実、つまりすでに苦悩を乗り越えた人がいたということである。生命は生きているのにいのちが生きられない、人間としていのちを全うしたといって死んでいけないという問題を人間は抱えている。老病死に代表されるすべてを奪い去っていくものによって、生きる意味を失い、生きられなくなるという苦悩は、人間であるが故の苦悩と確かめてきた。そうであるならば、その苦悩を乗り越えるということは、境遇によらず、あらゆる人間にとっての真実であるといえる。そんな「過去の仏陀たちの歩んだ古道」を見いだしたのが釈尊なのである。

『無量寿経』にはこのようにみられる。

その時、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして光顔巍巍とまします。尊者阿難、仏の聖旨を受けてすなわち座より起ち、偏えに右の肩を袒ぎ、長跪合掌して仏に白して言さく、(『真宗聖典』p.6-7)

阿難は「諸根悦予し姿色清浄にして光顔巍巍とまします」という釈尊の姿に出会う。釈尊はそれまでも側にいたのであるから、「出会いなおした」ということである。見るべきものが見えていなかった阿難が、見るべきものを見ることができた。仏陀を仏陀として仰ぐことができた。仏陀に仏陀として出会うことができた。そういうことが表されていると言える。

そして阿難は問う。

去・来・現の仏、仏と仏と相念じたまえり。今の仏も諸仏を念じたまうことなきことを得んや。何がゆえぞ威神光光たること乃し爾る。(同上p.7)

仏は仏を念じ、また仏は仏に念じられ、いのちを生かし合ってきた歴史を聞いているが、あなたも諸仏を念じておられるのではないか?その歴史の中に生きる者であるから輝いているのではないか?という問いである。

その問いに対して物語で答える。そこで過去五十三仏について語られ、仏と仏が出会って誓願を起こすという歴史が語られる。その中で、最も根源にある出会いとして、法蔵菩薩が世自在王仏に出会うということが語られるのである。過去の生涯に立てられたという意味で本願といい、諸仏が現れるもっとも根源の誓願であるから、根本願という意味をもつといえる。

仏教において語られることは、「出会いによって歩み出すことができたという事実」であると、宮下晴輝先生は児玉曉洋先生から聞いた、と私は聞いた。仏教の思想は、さまざまな思索や物語、ときには精緻な教学となっていくが、その根本にあって語られるべき事実はここにある。老病死で輝きを失うことなく、自分自身を自在に生き抜きた人物である仏陀に出会って、「あなたのように生きたい」という願いに生きる人生が始まるという事実がある。しかし我われは、自分が願ったことによってかえって生きられなくなるような願いの中を生きている。そんな我われだからこそ「願われている」ことは、生きることが始まるような、仏陀と出会うようなところに生まれてほしい、ということであるといえる。その願われていることに応えて生きるという生き方がある。自分の欲求をみたすということを依り所としてきた、「私が私でありたい」と願う心が、願に応えて生きるということを依り所に転換するといえる。

仏陀との出会いが成り立つということは、仏陀を仏陀としてみるということである。老病死で輝きを失うことのないいのちを自在に生きた人として仰ぐということである。そしてその仏陀であるというとは、ただ、一個人の欲求を叶えた人ということではなく、「人間としていのちをどう全うするのか」という問いに応えた人だからこそ、我われも出会うことができるのである。特別な人であれば出会えない。「人間として」という態度に出会う。

外にそういう態度に出会った時に、自己の内に、「私もそう生きたい」という形で「真実に生きたい」という心がもう一度見出される。苦悩するという形で、真実を求めているからこそ、その苦悩する心において、「私が私でありたい」という心は、ただ渇愛としてではなく清浄意欲として見出されてくる。その心が仏陀に出会わせる。外に出会うのだけれども、内側にある、真実を求める心に出会いなおす。逆に内にあるのだけども、自分からは見出せない。「私が」という渇愛の心からはどうしても見出されない。外に出会ってはじめて見出されることがある。外に仏陀に出会うことと、内に自己に出会うことは同時である。

我われは、出会いによって歩み出すことができたという事実の一方で、歩みがとまってしまうという現実を抱えている。「願」に生きるのではなく「私の思い」に行きづまる。しかし、出会いによって歩み出すことができたという仰ぐべき事実は、そんな我われに、その事実を尋ね、問い続ける力を与える。人間としての問いは、何が願われているかという問いとなり、その願われていることに、事毎に応えていく力をいただいて生きる、という道が開かれているといえる。