第10回 人間であるが故の苦悩(3) —孤独とは何か
「自己とは何か」という問いを、私がいかに生きるかという問いにおいて確かめた。私がいかに生きていくかということは、いかに死んでいくかという問題である。それは突き詰めれば、人間は「独りぼっちで死んでいかなければならない」ので...
「自己とは何か」という問いを、私がいかに生きるかという問いにおいて確かめた。私がいかに生きていくかということは、いかに死んでいくかという問題である。それは突き詰めれば、人間は「独りぼっちで死んでいかなければならない」ので...
自己とは何か 我われは、私が私であること、私であることの意味を渇き求めているということを前回確かめた。老病死によって、これこそ私であると信じてきたものが崩れ、こんな私は私ではない、と「私が私であること」の意...
先月号で、新型コロナウイルスのために病院では面会できないことを取り上げたが、これだけ感染が拡大し、変異により感染力も毒性も増している中では、院内で一人発症することが大勢の死亡につながる事態となる。しかも重症化しても設備の...
(第7回はディスカッション形式の授業だったため、まとめはありません。) 葛藤に立って 前回はNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』を視聴し、病の苦悩がいかなるものかを確かめた。その中でこの女性はこのように...
病室でふと床頭台に目を遣ると、一通の一筆箋があるのに気がついた。奥様からのお手紙であった。いつからそこにあったのだろうか。傍らには他にも何通も置かれていた。コロナ禍の今、病院では直接の面会はできない。受付で受け取ったもの...
どうして歩み出せたのか 前々回から、老病死の苦悩について、釈尊の四門出遊の課題を通して確かめている。老病死の苦悩とは、「生きる喜び」「生きる意味」に信頼がおけなくなり、疑いに投げ込まれるということであると確...
問題の出発点 前回から、ALS患者の苦悩を、釈尊の四門出遊の課題を通して確かめ始めている。ALSの患者が、完全な閉じ込め状態(TLS)になっては生きられないと言う声、寝たきりのALSの患者が「死にたい」と言...
これまでの3回で、苦悩に向き合う態度を確かめた。一つには苦悩を確かめるという学びについて、二つには自分自身が問われるということについて、三つには、人間として生きるということについてである。これらを踏まえてALS患者の声の...
今回は認知症という疾患をとおして考えていきたい。認知症とは脳の病気であると一般的には考えられている。確かに脳の神経細胞に特殊なタンパク質が蓄積し、神経細胞が破壊され減少することで、記憶障害、見当識障害などと呼ばれる高次脳...
今回は筋萎縮性側索硬化症(ALS)という疾患を通して考えていきたい。ALSは全身の運動ニューロンが障害される進行性の疾患であり、治療法が見つかっていない神経難病である。進行すると四肢の運動障害だけでなく、嚥下障害、構音障...