先日、ALSの患者さんが四十三年の生涯を終えられた。昨年十月には手紙を書き(病と生きる(72))、本年三月号には眼が見開いたことを記したばかりであった(病と生きる(76))。長い闘病であった。私ができることは何もなかった。私のほうが、病と生きるとはどういうことかを教えていただいた。
病の苦悩を、ただ無くすべきものとしかみなせないならば、苦悩を乗り越えて生きようとする一人の人間の姿を見ず、ただ不幸な人としてしか見ないことにもなろう。息子さんはただ不幸なのではなく、大事な時を過ごしているのではないか、とお父様と話をしたことがあったが、そうは言っても治してやりたい、と言われたことを思い出す。しかしそれでも、幸不幸といのちを分けて見るのではなく、苦悩も死も生も、すべてのいのちのありさまを、意味をもって見る眼差しを通して受けとめたい。
死はすべてを飲み込み、喜びも苦しみも奪っていく。そのことを、長い闘病生活の苦しみから解放されてよかったと見る人もいる。しかし苦悩が終わってよかったと済ませるようなことなのだろうか。死んだら苦悩から解放されるという受けとめ方は、仏教者がいう死後に往生するという受けとめ方とも通ずるように思われる。それは、すべてを奪っていくかのような死をどう乗り越えるのか、時の中に消えていかないような生とは何か、人間として生を全うするとはどういうことか、という問いに正面から向き合うものだと言えるだろうか。往生という言葉が、死も生も含めて人生全体の歩みを問うものでなければ、空しくひびく。
確かに、過酷な病を生き抜いたという意味で、ご苦労様でした、という声を掛けたい。しかしそれは、その人生全体を、ほんとうの意味で敬いをもって見ることができたとき、初めて掛けられる言葉ではないか。いかなる苦悩を生きたのか、いかなる人生であったかということを見ずに敬うと言っても、それでは言葉だけのことにならないか。
親鸞聖人が法然上人の死に出会われ、「浄土に還帰せしめけり」「浄土にかえりたまいにき」と和讃に記されたのは、ただ人生が終わり無に帰したということを指すのではなく、その人生全体を受けとめて、浄土へ還られるような人生であったと見られたということであるはずである。その「見た」というところに浄土への生を生きた人と「出会う」ということが成り立つのではないか。
児玉曉洋先生はこのように述べられている。
私たちにとって、この生において永遠なるもの、すなわち「無量寿仏」である「阿弥陀」に出遇うということによって、死の意味が、死亡という(無に帰する)かたちでしか見えていなかったものが、浄土へ還るというものに変わってくるのです。それは、言葉を換えれば、過ぎ去っていく生を生きているいのちが、未来を開いていく「時」を生きるいのちに変わるのです。(中略)「阿弥陀仏」に出遇うということがなければ、死は生の終わりとして、それは死亡であり、亡くなることであるけれども、私たちがその生の中で「阿弥陀」に触れるならば、死は生の完成となる。それこそ、安田先生がよくおっしゃっていたように、「業を尽くしたのだ」と。人間として生まれた、その業を果たし遂げたのだ。安田先生の奥さんがおっしゃったように「本当にご苦労様でした」ということで、いわば人生を完成したのです。ついに生きることの責任を果たして、その責任から解放されたのです。そして、その自分の全体が「阿弥陀」の世界に摂め取られていく。そういう、はっきりとした方向と到達点が与えられる。(『児玉曉洋選集第九巻』三八一〜三八二頁)
人は死んだから仏に成るのではない。念仏して仏に成ると教えられる。前(さき)に行く人を、人生を完成した人と見たとき、仏として出会うということがある。その出会いが成り立つところに、仏が生まれる。ほんとうの意味で「ご苦労様でした」と言える出会いのあるところに、死の意味が転換し、新しい生が始まるということがあるのではないか。
[『崇信』二〇二二年五月号(第六一七号)「病と生きる(78)」に掲載]
コメントを残す