足下を見よ

[この記事は『崇信』二〇二四年五月号(第六四一号)「病と生きる(101)」に掲載されたものです]

私自身のことだが、先日(2024年3月下旬)転倒し顔面を打撲した。前日から京都の相応学舎で宿直をして、朝からいろいろと用事を済まそうとしていた。近くのスーパーで買い物をし、相応学舎の仕事で、本を注文された方へ発送するため郵便局に行き、その後大谷大学に行って、午後からは病院勤務という予定であった。早く済ませないと間に合わないと焦りつつ、いろいろなことを考えながら小走りで走っていたからだろうか。何もないところで転倒し、発送する安田理深先生の『唯識論講義』の入った手提げ袋を離さないようにして、顔から地面に突っこんだ。気づいたら目の前はアスファルトであった。手は血まみれで、ハンカチで顔を抑えても血が止まらない。顔はどうなっているかと慌ててビルの窓で確認するがよく見えない。

動転していたからだろうか、そんな状態なのに、なぜか用事を済まそうとそのままスーパーにいき、血まみれのまま買い物をした。そこで少し冷静になりトイレで顔を見ると、鼻の下から右側にかけて、そして右眼の下や顎、右手の小指に擦過傷がある。噛み合わせもどうもおかしい。これはただごとではない、と急に不安が襲ってきた。

このとき思い出したのが、半年ぐらい前の当直中のことである。訪室すると床に患者さんが座り込み、周りが血まみれであった。唇から出血が続いている。転倒して机の角で口の辺りを打撲したようであった。縫合しようと口を見ると、唇の裂創だけではなく、上顎の前歯が歯茎から折れグラグラになっていた。これは私の手に負えないと判断し、応急処置だけ済ませて、別の病院に救急搬送した。それを思いだし、もしや自分も、と不安になったのであった。それにしても、あのとき、あの方は、そんな状態にもかかわらず非常に冷静で、泣き言は一言もおっしゃらなかった。

それに引き換え、私は不安でしかたがない。普段どおりの日常が失われるかもしれない。実はこの数日前にも転倒した。「最近転倒しやすくなった」というのは、神経疾患の病歴によくある文言である。何らかの疾患の前触れではないかと不安になったり、食事は食べられるか、顔に傷は残らないか、といろいろな心配が頭を擡げたりした。

さて、午後に勤務先で診てもらうか。しかしまだ午前十時半である。とりあえず傷の処置だけでも、と近くの病院に受診した。

待ち時間が長い。実際は三十分程度で、待たせる側としてはそれぐらいお待たせしてしまっていたが、待つ側としてはとても長く感じた。ようやく呼ばれて中に入った。入るなり、医師は目も合わさず、「はい、そこによこになってねー」と幼い子をなだめるように言われたので、「すみません、脳神経内科の医者なのですが、そこで転んでしまってお世話になります」と言うと、やっと目を見て話を聞いてもらえた。傷の処置だけしてもらい、頭部CTは自分の病院で撮ると言って、その病院をあとにした。そして勤務先で診察前に検査し、自分でも顎や脳に異常がないことを確認して、ようやく少し安心した。

しかしその後も身体のあちこちが痛く、すばやく動くことができない。街に出ると、こんなにも周りの生活のスピードは速かったか、と置いて行かれる感じがした。

このぐらいで患者の立場を知るなどとは到底言えないが、改めて見逃していることがたくさんあることを教えられた。また今回、先ばかり見て、文字通り「足下が見えていなかった」わけだが、自分が歩むべき”足下”をもう一度よく確かめなければならないと思った。

小説『阿弥陀堂だより』(南木佳士著)に、心の病を機に夫の故郷、信州の山里で暮らすようになった医師・美智子が登場する。美智子は「背伸びばっかりしていると視野に入らない丈の低いものの中に、実はしっかりと大地に根をおろしている大事なものがあったのよ」という。大地に根をおろす生活を見失っているのではないかと、立ち止まる機会をいただいた。

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