第3回 苦悩に向き合う態度(2)—認知症患者の苦悩を通して

テーマ
同じ人間として
要旨

認知症を医学的に学ぶとき、その知識をどう使うのかが問題である。児玉曉洋先生がマックス・ウェーバーのいう精神のない専門人という言葉を用いて指摘しているように、我われは「人間として生きる」という立場を失うということがある。そのとき、学んだ知識は相手を能力で評価することに使われ、相手を正常な自分とは異なる間違ったことをする者と断定し、医者が異常行動を薬剤で抑制するように、相手を変えようとする。能力では量れない”いのち”見る眼が失われ、同じことに喜び、同じことに悲しむ、「一人の人間として」の心が置き去りになる。量れないものを見る「智慧」が求められている。

今回は認知症という疾患をとおして考えていきたい。認知症とは脳の病気であると一般的には考えられている。確かに脳の神経細胞に特殊なタンパク質が蓄積し、神経細胞が破壊され減少することで、記憶障害、見当識障害などと呼ばれる高次脳機能障害が生じる疾患である。しかし認知症をめぐる様々なできごとは、そういう生理学的な観点だけではなく、「人間として」という観点がないと本質が見えてこないことがある。

認知症外来に通う80代の女性がおられる。妹さんがお世話をしている。2020年7月、その妹さんのところに夜中の3時に電話がかかってきたという。何かがおかしいとしきりに言われる。認知症外来では離れて暮らしている家族の元にしょっちゅう電話をかけてきて困るという相談がよくある。認知症により時間の感覚がわかりにくくなる、見当識障害という症状がある。また夜間に精神的に不安定になる夜間不穏と呼ばれる症状がある。そのような症状による異常行動だとされ、薬剤によって行動を抑制するということをされることが多い。しかし妹さんはそう決めづけず、何をおかしいと感じているのか、何を思っているのか、その人の心を知ろうとした。2020年7月は熊本県を中心とした豪雨被害(令和2年7月豪雨)があり、テレビでは頻繁にそのニュースが流れていた。そういう自然災害の度に、この方が義援金を送られていたと言うことを知っていた。しかし認知症で今までやってきた手順で義援金を送ることができない。どうしていいかわからず電話をかけてきた、ということではないかと考えた妹さんは、「今度一緒に義援金を送りましょう」というと落ち着いて電話を切ったという。

 

同じ人間として

このことは、「夜中に電話をかけてきた」という出来事を、高次脳機能障害による異常行動だと決めてしまっては、問題を取り違えてしまうところである。認知症を通して私たちの「人間の見方」が問われる。私たちはどんなものさしで人間を見て、人間の価値をどこにみているのか。人間を能力で量って見るとき、「夜中に電話かかかってくる」という事態に対して、夜間に電話をするというのは正常な判断ができない”異常行動”だと見なしてしまう。認知症によって見当識障害や夜間不穏が起こるという学びによって、かえって問題を取り違えるのみならず、相手の価値を低くみることに知識を使ってしまうということが起こりうるのである。

量れないものを見ようとするとき、その行動を能力に照らして「良い」か「悪い」かと判断するのではなく、「良い」も「悪い」もない、ただそこには「豪雨の被害を見て心を痛める」という心があることを知るのみである。認知症の知識は、相手を蔑むためではなく、相手の心を知るために使うべきであろう。先ほどの患者の妹さんは、「私と同じように、世の中の出来事に心動かされる一人の人間である」というところに立ち、自分も豪雨被害に心を痛めていたからこそ、この認知症の方が、豪雨被害に心痛めて起こそうとした行動であるということに気がつけた。相手を病気の人であると見ず、同じことに喜び、同じことに悲しむ、同じ一人の人間であるという立場で見ていたからこそ、心に触れることができたといえる。このように、量れないものを見ようとする見方のことを、仏教でいう「智慧」ということができる。

この「人間として」ということを忘れて、一つの立場に立つことの問題を、児玉曉洋先生はこのように指摘する。

いわゆる食う寝る所に住む所を確保して生きる、医学的にいえば心臓が動いている、あるいは脳が働いているというようなことは、それは生物として生きるということであって、人間として生きるということではありません。では人間として生きるとは、どういうことなんだろう。私たちは、そのことを確認しなければなりません。こういう私の問いに対して、答えてくれている一つの言葉として、私はピカソ[一八八一~一九七三]の言葉をあげたいと思います。ピカソはインタビューで、次のような言葉を語っているのです。

あなたは芸術家をどのようにお考えでしょうか。眼だけしかもたない画家、耳だけしかもたない音楽家、心の無数の琴線に対する一片の情感しかもたない詩人、腕力しかもたない拳闘家などがいるとしたら、なんとも馬鹿げたことです。それどころか、本来この人びとは、同時に社会的な存在であり、この世の惨事や喜ばしい出来事に心啓かれた者であり、まったくそれらの画像に依拠して自らを形成する存在なのです。

とこういっています。この言葉をもう少し説明しますと、ピカソは「眼だけしかもたない画家」、あるいは「腕力だけしかもたない拳闘家」というものを、なんとも馬鹿げたものだといっていますが、このことはさらに我われに近い例でいうと、「お経だけしかあげないお坊さん」とか、「説教だけしかしないお坊さん」、あるいは学校でいったら「教えることだけしかしない教師」、あるいは「お金儲けだけしか考えない実業家」、「洗濯と炊事しかしない奥さん」と、こういうふうに展開していくことができます。こういうふうに生きている人間は、なんとも馬鹿げたことだとピカソはいっているのです。マックス・ウェーバー[一八六四~一九二〇]は、こういう人びとを「精神の無い専門家」[『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』一九〇五年]といっています。

(中略)

それならば、ある人が絵かきになり、ある人が教師になり、またある人が僧侶になるのは、どういう意味があるのでしょうか。絵かきの場合をとっていうと、「これらの画像に依拠して」、つまり社会的存在として「世の惨事や喜ばしい出来事に心啓かれ」つつ自己を形成する「場」、それが絵なのだ、画像なのだというのです。それで僧なら僧、教師なら教師という職場において何をするのかというと、世のさまざまの出来事に心啓かれつつ、自己自身を形成するということです。それが「生きる」ということなのです。しかし、これがひっくり返ってしまい、教師になるために生きる、僧侶になるために生きるということになると、それは「人間として生きる」という立場が、失われてしまうということになるのです。(『児玉曉洋選集第二巻』p.10-12)

医師が「世の惨事や喜ばしい出来事に心啓かれ」つつ自己を形成することを忘れていたら、鎮静剤を処方することに終始してしまうだろう。それは医師本人にとって「人間として生きる」という立場が失われることになると同時に、患者との人間同士のつながりが失われることにもなろう。それは医師に限らない。いかなる職業であっても、「○○になる」ということが最終目的になってしまい、「世のさまざまの出来事に心啓かれつつ、自己自身を形成するということ」を忘れたとき、「人間として生きる」と立場と、人間同士の関係性が失われる。

 

どのような関係性をもつのか

この問題は認知症の医療や介護の現場で、さまざまな形で現れる。例えばある認知症の人は、記憶障害のために預金通帳やお金を無くしてしまうのだが、介護している息子が盗んだという。これは「物盗られ妄想」と呼ばれる認知症によく見られる被害妄想である。介護者は、認知症が進めば進むほど、どうしても「介護者として」の立場に立ってしまう。つまり介護する側の立場から、介護される側の患者に対して、迷惑がったり間違いを責めたりするという、上下関係ができてしまう。この上下関係を解消するために、患者は相手を「お金を盗んだ加害者」にすることで自分が上に立とうとすることが、「物盗られ妄想」の原因と考えられるのである。したがって、脳の障害は起こっているが、問題は人と人との「関係性」にあるのである。実際にあったことであるが、ある患者の場合、孫が毎日電話をすることにした。すると被害妄想がなくなったのである。自分にとって迷惑かどうか、役に立つかどうか、という関係性ではなく、「ただいてくれるだけでうれしい」と無条件に相手を受け容れ、相手を敬う心が伝わったとき、人間同士のつながりが回復するのである。

 

言葉の奥にある苦悩

しかし、そのような関係性が失われたとき、患者の苦悩は怒りや悲しみとして現れ、介護者は困惑する。TV シンポジウム「認知症を正しく知る~本人にも家族にも優しい支援とは~」(2018年 2月10日放送)に出演した太田正博さんの例を紹介したい。若年性アルツハイマー型認知症と診断されたが、認知症本人の声を届けようと講演活動をされてきた。しかし認知症が徐々に進行し、トイレの場所や尿意の感覚がわからなくなっていた。

トイレを失敗ないようにと妻の栄子さんが手助けしようとしたそのとき、激しく声を荒げてこういった。

「もういやだな こんなことばっかり 次から次から されてどうなのよ。なんもしていない なんもしてないじゃないか わたしは。」

「なんじゃかんじゃ持っていくし 人のものを持っていくし。」

「なに 人のものを全部持っていくのよ。嫌な人ばっかりおるってもう こんなこともう嫌だよ。私はなんもしとらんよ。私はしっかりしとったということは 全然なんもないんですよ。ないんだけど できるものがあるんなら やってみようとしただけで…」

「だけなんです できたら楽しいなと。」

「ただそれだけなんです なんも持ってるものも なんもないって」

(TV シンポジウム「認知症を正しく知る~本人にも家族にも優しい支援とは~」(NHK, 2018年 2月10日放送))

「人のものを全部持っていく」それは怒りというより悲しみの声である。認知症によって、これまでできていたことができなくなる。仕事をやめた、趣味もできなくなった、能力が失われ、できないことが増えていく。これまで確かだと思っていた自分が失われていく不安の中にいる。そういう不安の中では、失敗しないようにという家族の配慮も、本人からすれば自分が奪われるという喪失感となる。確かだと信じられる自己とは何かということが問題になるのである。

また、ただ日々を過ごしているだけのはずなのに、何かいつも失敗を責められ、かわいがってきた孫も成長して煙たがられ、自分が迷惑で役に立たないような扱いを受けていると感じ、確かな居場所だと思っていた家庭に信頼が置けなくなる。そういうなかでは、家族の配慮も、かえって責められているような疎外感となる。

そんな、これまで信じてきた確かな自分や確かな居場所が失われる悲しみ、そして疑いの中を生きていく不安は、「同じ人間として」わかることではないか。怒りの声の向こう側にそのような悲しみがある。そのことは、怒りを「前頭葉機能が低下しているから、感情を抑えにくくなる」などと医学的に説明しても見えてこない。悲しみをそのままにみる眼差しがあって初めて見えてくることではないか。

ではいったい老病死を前にしても喜びある人生とは何だろうか。ほんとうに確かだと信じられる自己、確かだと信じられる依り所はどこだろうか。それがまさに「信仰」の問題であり、そのことを次回はALSを通して考えていく。

 

徘徊—確かな居場所を求めて

認知症の症状としてよく知られる「徘徊」とよばれる症状も、単に脳の異常ではなく、この信仰の問題、人間であるが故の問題が現れているといえる。徘徊とは、古い看護辞典には「どこともなく意味もなく外出したくなり、歩きまわる。あるいはしばしばこれをくり返すこと」(『看護大辞典』医学書院2002)と書かれており、見た人が「意味」を知らなければ「徘徊」と見なされる。しかし、よく確かめてみると、昔の職場に行こうとしていた、昔住んでいた家に帰ろうとしていた、などとわかることがある。つまり「確かな居場所」を求めているのである。安心して帰るところがほしいというのは、誰もがわかるところである。しかし周りを見渡しても確かな居場所がない。今いる場所が確かな居場所になっていないから「徘徊」するのである。

仏教でいう「菩提心」という言葉をこのことを通して確かめてみたい。「菩提」とは目覚めという意味であるが、老病死によっても崩れることのない確かな自己、確かな居場所、確かな人生に目覚めるということを「菩提」と受け止めるならば、誰もがそのような菩提を求める「菩提心」を持っているといえる。しかしどこに求めてよいかわからず迷う。そういう意味では認知症であろうとなかろうと、菩提を求めて迷い、”徘徊”しているのが我われであるといえる。

迷っている迷子がいれば、一緒に家を探すように、徘徊につきあい、確かな居場所を探す。そういうことが慌ただしい日常でできなくなっている。病院では知能検査をして脳機能を評価するばかりである。人間は皆迷っているのだから、道に迷ったら一緒に”地図”を見ることが求められている。つまり、道に迷う同じ人間として、仏の智慧という地図を確かめることが求められているのではないか。

 

ジャータカ物語をどう読むか

人間としての苦悩を共にするということを、いわゆる「投身飼虎物語」というジャータカ物語を通して確かめたい。

久遠阿僧祇劫に摩訶羅檀那(Mahāratna)という大国王がいた。その王に三人の王子がいた。第一が摩訶富那寧(Mahāpranāda)、第二が摩訶提婆(Mahādeva)、第三が摩訶薩埵(Mahāsattva)という名であった。この中の一番小さな第三の王子は、慈心あり、すべてを赤子のように憐れんだ。

ある時、三人の王子が林の中で遊んでいると、子を産んだばかりの虎に出あった。その虎は飢えて、子をも食うかのようであった。三番目の王子が、兄たちに、「この虎は何を食べるのでしょう」と聞いた。兄たちは、「もし新たに殺した熱い血のしたたる肉が得られるならそれをよしとするだろう」と答える。弟はまた問う、「いまこの事態をよく見て、この虎の生命を救うことができる人がいるでしょうか」と。兄たちは言う、「それは困難だろう」と。

その時、最年少の王子は、自ら内心に思った、「我は久遠の生死の中において、身を捐つること無数にして、唐らに軀命を捨てたり。あるいは貪欲のために、あるいは瞋恚のために、あるいは愚癡のためにす。いまだかつて法のためにせず。今、福田に遭えり。この身何くにか在り」と。思いはすでに定まった。年少の王子は、帰る途中で、兄たちに先に行ってもらい、自分だけ虎のところに引き返した。身体を虎の前に投げだしたが、飢えた虎は口を噤んだままで、食べることができなかった。そこで王子は、 とがった木をとり身体を刺して血を出し、虎に舐めさせると、虎は口を開いて食べることができた。

(以下要略)

兄たちは、戻ってこない王子を心配して、戻ってみると、虎はすでに食べ終っているのを見た。むせび泣きながらようやくにして父母に知らせた。父母が走ってその場所に行くと、骨のみが散らばっていた。その骨を函に納めてそこに塔を建てた。

「摩訶薩埵以身施虎品第二」『賢愚経』巻第一(大正蔵4, pp. 352b-353b)

この物語はなぜ語られるのか、そしてそれを現代に読む私たちはどう受け止めるのかということが問題である。王子は一匹の飢えた虎を前にして「今、福田に遭えり」と言う。「福田」とは、供養をすることによって福徳がもたらされる、尊敬に値するもののことである。供養の対象が衆生であるということは、衆生の苦悩を尊敬に値するものと見て、その苦悩のために身命をかけるということである。このことについて、『改訂 大乗の仏道』にはこのように述べられている。

 布施を主題にする典型的な物語では、菩薩自身が、苦しみの中にある衆生とまったく同じ生命を生きるものであることが、その衆生としての身体を挙げて表現されている。繰り返してわが身を衆生の前に投げ出し布施する物語は、等同な身体をもって等同な生命を生きるものであることを表わしていると受けとめることができる。衆生を供養するとは、苦しむ衆生と共にあろうとすることである。そしてその衆生と共にあって仏道を求めるものが、ここに菩薩と呼ばれている。(『改訂 大乗の仏道』p.131-132)

衆生のために身を投げ出すという形を取っている釈尊の前世の物語は、釈尊の英雄的な行為を語るのではなく、衆生の苦悩と一つになるということを物語っているといえる。英雄であれば釈尊個人の業績を称えるものである。しかし、衆生の苦悩と一つになるということは、衆生を代表して衆生の苦悩を乗り越えたということである。道を求めるということは、本来、個人的な問題ではなく、衆生を代表して衆生の問題を引き受けるということとして語られているのである。同じ人間として道を求めた者の智慧だからこそ、英雄ではない我われが皆、触れることができ、我われ一人ひとりの生き方に関係することができるといえる。

ところがその苦悩を超えるということが、英雄的な個人の事柄に陥るとき、衆生を代表して衆生の苦悩を乗り越えることであるということを強調しなければならなくなり、のちに大乗仏教において「菩薩」という言葉が要請されるのではないだろうか。自分が抱える苦悩をすでに引き受け、乗り越えて人生を全うした人がいる。仏教は、そんな人生を生き抜いた人々の苦悩と願いの歴史を学ぶものであるといえる。