第15回 ほんとうの希望とは何か(3) —いのちの根源的連帯を求めて(終)
苦悩を知らずに この講義では、実際に医療現場で投げかけられた苦悩の言葉と、それを私自身がどう受け止めようとしたかというところから始めた。苦悩に対する私の態度は、当たり前のようにして、苦悩があるのはマイナスで...
苦悩を知らずに この講義では、実際に医療現場で投げかけられた苦悩の言葉と、それを私自身がどう受け止めようとしたかというところから始めた。苦悩に対する私の態度は、当たり前のようにして、苦悩があるのはマイナスで...
渇愛と清浄意欲 前回は、生きる意欲ということについて学んだ。我われには「私が私でありたい」「私としていのちを全うしていきたい」という願いがある。その願いは人間の根本であるともいえるが、我われはほんとうに欲し...
(第12回はディスカッション形式の授業だったため、まとめはありません。) 第8回〜第11回のまとめ これまでの第8回〜第11回では、「人間であるが故の苦悩」というテーマで、苦悩の中にはいかなる人間の姿が現れているのかとい...
前回は孤独ということについて、早川一光医師のことばを通して確かめた。「さみしい」ということは、状況を整えれば解決できるようことではない問題を孕んでいる。誰も自らの死を代わるものはいない。そういう意味でかけがえのないいのち...
「自己とは何か」という問いを、私がいかに生きるかという問いにおいて確かめた。私がいかに生きていくかということは、いかに死んでいくかという問題である。それは突き詰めれば、人間は「独りぼっちで死んでいかなければならない」ので...
自己とは何か 我われは、私が私であること、私であることの意味を渇き求めているということを前回確かめた。老病死によって、これこそ私であると信じてきたものが崩れ、こんな私は私ではない、と「私が私であること」の意...
(第7回はディスカッション形式の授業だったため、まとめはありません。) 葛藤に立って 前回はNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』を視聴し、病の苦悩がいかなるものかを確かめた。その中でこの女性はこのように...
どうして歩み出せたのか 前々回から、老病死の苦悩について、釈尊の四門出遊の課題を通して確かめている。老病死の苦悩とは、「生きる喜び」「生きる意味」に信頼がおけなくなり、疑いに投げ込まれるということであると確...
問題の出発点 前回から、ALS患者の苦悩を、釈尊の四門出遊の課題を通して確かめ始めている。ALSの患者が、完全な閉じ込め状態(TLS)になっては生きられないと言う声、寝たきりのALSの患者が「死にたい」と言...
これまでの3回で、苦悩に向き合う態度を確かめた。一つには苦悩を確かめるという学びについて、二つには自分自身が問われるということについて、三つには、人間として生きるということについてである。これらを踏まえてALS患者の声の...