時と場を失う
[この記事は『崇信』二〇二四年八月号(第六四四号)「病と生きる(104)」に掲載されたものです] 認知症外来に長らく通院されている方のことである。徐々に時間と場所がわからなくなる「見当識障害」が進行している。また最近会話...
[この記事は『崇信』二〇二四年八月号(第六四四号)「病と生きる(104)」に掲載されたものです] 認知症外来に長らく通院されている方のことである。徐々に時間と場所がわからなくなる「見当識障害」が進行している。また最近会話...
[この記事は『崇信』二〇二三年九月号(第六三三号)「病と生きる(93)」に掲載されたものです] 最近、自坊に併設する軽費老人ホーム「受念館」では、職員向けに介護研修を行っている。先月の介護研修が終わった後のことである。以...
[この記事は『崇信』二〇二三年八月号(第六三二号)「病と生きる(92)」に掲載されたものです] 先日、最近認知症外来に通い始めたあるかたが、話し始めるなりこうおっしゃった。「何もする気が起こらない。早く死んでしまいたい」...
[この記事は『崇信』二〇二三年四月号(第六二八号)「病と生きる(89)」に掲載されたものです] 病院に併設する介護施設から相談があった。“不穏”で困っているという。看護記録を見ると、「昼食後『誰が送ってくれるの!?』『私...
[この記事は『崇信』二〇二三年一月号(第六二五号)「病と生きる(86)」に掲載されたものです] 認知症の母の介護に手を焼いている、と息子さんから相談があった。尿や便を頻繁に漏らしてしまうという。膀胱括約筋の働きは弱くなる...
安田理深先生は「『唯識三十頌』聴記」で、このように述べられる。 有漏の諸法を蔵するとは、つまり私が経験をもつということ、それが阿頼耶識である。総じて生活ということを成り立たせる識である。私という言表が、それにおいて立てら...
安田理深先生は「『願生偈』聴記」で、このように述べられる。 浄土は、相から出発するところにはない。相を果とするところの因位、その果となるところの相なき相から出発するところに、あるのである。人間的悩みから出発するのではない...
多発性硬化症《たはつせいこうかしょう》(MS)という神経疾患がある。神経細胞を覆っている髄鞘《ずいしょう》という部位に対して自己の免疫が誤ってはたらき、神経障害が多発する。投薬によって症状は一旦改善するが、繰り返し再発す...
認知症外来でのことである。付き添いの奥様がお疲れの様子であり、あとでそのわけを伺った。すると最近夫が暴力的で困っているという。普段は穏やかなのだが、急にスイッチが入ったように目の色を変えて手を上げると。認知症だからでしょ...
タイの東北地方を訪問した「逝き生きツアー」の前半は、「ライトハウス」と呼ばれる仏教の瞑想道場に宿泊した。私はここで上座部仏教の僧侶や参加者の前でお話をする機会をいただいた。「共に苦悩する心」という講題で話し、意見交換を...