為すべき仕事

 これまで「病と生きる」というテーマで書き続けている。この「病と生きる」の主体はまず患者として出会った一人一人である。その方々が病を抱えて生きる姿を、仏教を通して私がどのように受け止めるかということがまず一つの課題である。もちろん「病を抱える方と」私がどう関わるか、寄り添う、共に生きるとはどういうことか、ということは課題としてあるのであり、また日々現場でそれを要請されるのであるから、ともすればそちらの課題へとすっと滑っていってしまう。しかし、病の中にあってさまざまな喜びや悲しみを抱きつつ生きる姿のなかに、人間が人間として生きるとはどういうことか、私が生き死んでゆける場所はどこか、ということを自分自身が確かめることなしに、共に生きるなどといっても、人情話の中でほんとうに大事なことがごまかされてしまうように思う。つまり、どこに向かって生きるのかという問いなしに「一つの心で」ということは成り立つのか、と問わなければならない。したがって、簡単に病を抱える人と共に、と言ってしまわずに、その日々の生活の営みをまず確かめていきたい。

 連載の最初の頃、脳の手術後寝たきりになった方のことを取り上げた病と生きる(3)「私の足を運ぶもの」彼のその後を少しお伝えしたい。今も毎週お会いするが、様々なことを教えていただく。

 先日は病院に向かう商店街で、散歩(お母さんが車いすで連れ出して外を一緒に歩くことを散歩と呼んでいる)しているところにお会いした。「天気がいいから散歩に行ってきます。」そして帰ってくると、お母さんが様子をお話ししてくださる。今日はしきりに空を見ていた、わかるんでしょうか、と言われた。いったい彼から空はどのように見えているのだろうか。脳の大半が障害されているために複雑な思考はできない。しかしいろんな思考が邪魔をして空を見ているようで見ていない自分がみた景色と、彼が見た景色と、どちらがすぐれているなどといえるだろうか。

 別の日のことである。昔の職場の部下だった人がお見舞いに来られるという。もう今の状態になってから十年以上経っている。初めの頃はよく来られたお見舞いも最近は少なくなった。職場の仲間のメッセージが入ったカセットテープは、何回も繰り返し病室で流していたためすり切れて聞けなくなっていた。そんな中で久しぶりに来られるということで、お母さんは喜んでおられた。上司といってももう復帰することはできない。もはや会社の上下関係は意味をなさない。それでもこれほど時間が経ってわざわざ遠方からお見舞いに来られるということは、単に会社の上司としてだけでなく、人間として慕われていたということに違いない。「○○さんがこっちでがんばっているのだから、僕もがんばらないと」と言って帰っていかれたという。彼は一見ベッドの上で何もしていないように見えるが、一日を生きるということそのことが彼にとっての大事な仕事だというのである。では私にとっての大事な仕事は何だろうか。

[『崇信』二〇一九年一月号(第五七七号)「病と生きる(41)」に掲載]

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