扉の向こうへの手紙

Dさん(仮)へ

こんにちは。今回、少しお手紙を書かせていただきました。というのも、全くコミュニケーションがとれない閉じ込め状態のDさんと、どのように向き合ったらよいのかわからず、どうしてもDさんのところにいる時間が少なくなっていたことが気がかりでした。そこで、一度このような形を取らせていただきました。

まずDさんには、いろいろと謝らなければなりません。医者としてこの筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気を治療できないということ、Dさんの今の思いを聞き取って差し上げることができないということ、そしてこの病気にともに向き合うということができていないということ、などなどです。

まず病気についてですが、私は大学でこの病気の研究をしていました。いまだに原因はわかっておらず、今も世界中で研究されています。私の上司だった先生は、今も研究を続けています。先日お聞きしたところ、私が研究していたころよりかなり進んでいました。だいぶ先だと思われていた治療も少し光が見えてきたように思います。

けれども、今現にこうしてDさんが過酷な状況の中で生きていかなければならないことに変わりはありません。今どのような心境におられるのか、私などには想像すらできません。いや、勝手に想像してわかったように決めつけてしまうことは、現実に日々向き合っておられるDさんに失礼なことかと思います。

病院ではひょっとしたら、ALSの患者さん、寝たきりの患者さんとしか見てもらえず、悲しい思いをされているのかもしれません。私はDさんをDさんとして見たいと思っています。Dさんが生きる今を、よいとかわるいとか、つらいだろうとか、かわいそうだとか、そんなふうに何か勝手に価値を決めてしまうのではなく、まず今Dさんが見ている世界をそのままに知りたいと思っています。

しかし、私が見えていることは、ほんのわずかです。まずDさんのこれまで歩んでこられた歴史を知りません。そして病を生きるということを知りません。医学についてはたくさん勉強してきましたが、医学によって見えることは、人間が生きるということのほんのわずかな部分にすぎないでしょう。Dさんと向き合ってお話するといつも、病気について知ることと、病を抱えて生きるということは全く違うと教えていただいているようです。人間が人間として生きるということについて、医学は教えてくれません。

私のことを少しだけお話しさせてください。私は今のところたまたま大きな病気はしていませんが、明日かかるかもしれないし、いずれはかかるでしょう。誰もが老病死を避けることはできません。それにどう向き合うかということが大きな問題ですが、その前に私は、大きな病気もないにもかかわらず、生きていくことができないと思い詰めたことがありました。この世の中にはもう何の喜びもない、生きている意味がないと。そんな苦悩は誰にもわかってもらえないと思っていました。

私はお寺に生まれたということもあり、仏教を学ぶ大学に入りました。そのとき一つの大きな転機がありました。それまで仏教というのは、何か遠くにいる仏様を頼るようなもので、自分が生きることと関係するとは思っていませんでした。しかしそうではありませんでした。ある先生の仏教のお話を聞いて、私が抱えている問題、苦しんでいることを、私以上に知っている人がいる、ということを知りました。つまり、仏教というのは、生きることに苦しみ抜いた人の智慧であり、その智慧が、自分の抱えている問題、ひいては自分自身をはっきりさせるのだということを知りました。私のことは私が一番知っている、誰にもわからない、と思っていましたが、実は私も私のことを知らなかったのです。そんな私のことすらわからない私が、Dさんのことをわかるはずもありません。だから、私は私のことを知り、Dさんを知り、人間が人間として生きるとはどういうことかを知るために、仏教を学んでいます。

仏教は、本願の力に出会ったなら、時が空しく過ぎる人はいない、ということを言います。たとえ境遇は変えらなくても、その境遇がもっている意味が転換する、すべてのできごとは人間が人間になっていく契機であると言います。あるALSの方は、癌の末期であっても最期までいのちを燃やし尽くしたいといって人生を全うした人物に出会い、自分も病気が進行してもその人のように生きたいと願われました。そして仏教は、苦悩を知り尽くし、その苦悩を乗り越えて、人間として人生を全うした人物に出会って、空しくない人生を送った先人たちが無数におられるということ伝えます。そのことに心動かされ、仏教に自己を学び続けたいという意欲をいただいています。

しかし、本当にどんな状況であっても、そのように生きられるのか。それは自分の身をもって確かめるしかありません。Dさんはどう思われますでしょうか。酷なことを言うと受けとめられるかもしれません。その通りだと頷かれるかもしれません。Dさんの日々の姿を拝見しながら、そのことを私も尋ねていきたいと思っています。

2021年10月5日

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