何度も出会いなおす

 手首から先が無くなった寝たきりの方のことをお伝えしたのを覚えておられるだろうか(病と生きる(35)「尊厳が損なわれるとき」)。先日息を引き取られた。外来にご自分で歩いて通っておられたときから、もう十年以上関わらせていただいた。外来や病棟回診という短い時間ごとに出会っただけでとても人生を見たとはいえないが、神経難病をかかえて生きる人生の一つの姿を見せていただいた。

 外来でお話ししていたころは、ある意味では当然であるが、私は治療する側の立場に立っていた。困っていることを尋ね、それを解決するために検査をしたり処方をしたりということをしていた。医師であるからそれはどこかで持っているのであるが、寝たきりになってお話しできなくなってからは、治療する側というより、その姿から私は何を聞けばよいのか、私の人生の問いに今のあなたはどう応えるのかと尋ねる立場でお会いするようになった。そういう意味では何かお話しできていたときとは違う、新たな関係になったといえるのかもしれない。

 前回の記事を書いてから、また別の新たな出来事があった。この方の奥様のその後が気になっている読者の方もおられるかもしれない。毎日お見舞いに来ておられたが、別の病院に入院して来られなくなっていたのであった。ある日、隣接する介護施設から、動けなくなった人がいるから診てほしいと往診の依頼があった。診察に伺うと、なんとその奥様だったのである。何年ぶりだっただろうか。あの快活な話し口の元気な姿は見る影も無く弱っておられた。最初は気づいておられなかったが、名前を伝えると、出なくなった声を振りしぼって、先生、とつぶやき涙を流された。その涙には会わなかった間のご苦労があらわれているようであった。

 いくつかの処方によりなんとか回復されて、私の外来に通えるようになった。外来に来られるようになったので、その機会に病棟のご主人の病室に行かれたらどうかと提案し、付き添いの看護師さんの介助のもと、久しぶりの夫婦の再会が実現した。病状は進んでいるので面会はかえって酷なのではないかという考えもよぎったが、実際はたいへん喜ばれた。

 それから数ヶ月がたち、ある日いつものように出勤すると、看護師からご主人の訃報を聞いた。週末静かに息を引き取られたとのことであった。奥様もご葬儀に参列されたそうである。

 児玉曉洋先生の「御命日を機縁として」の中に、「御命日 それは 死者と生者が対面する日 御命日 それは 死者から生きることの意味が問われる時 その人が命終わったその日を 何故〝いのちの日〟と呼ぶのだろう」(『児玉曉洋選集第五巻』二三四頁)とある。死者と対面することを通して、死んだ人が生きた人に向かって「ある時生まれて ある時死ぬ 死への生 それが本当のいのちなのだろうか」と問いかけられている、と。患者として始まったこの方との関係は「あなたは本当のいのちを生きているか」と問われるまた新たな関係となった。いただいたその問いを懐いて、ある時生まれてある時死ぬ」のではない無量寿といういのちに出会われた親鸞聖人の歩みにたずねていきたい。

[『崇信』二〇一九年四月号(第五八〇号)「病と生きる(44)」に掲載]