(第7回はディスカッション形式の授業だったため、まとめはありません。)
生きる意味を失った絶望の中からどうして歩み出すことができるのかという課題は、個人的な問題を超えて、人間であるが故に抱える問題である。したがって「死にたい」という声を、個人の意思の問題と限定して捉えるべきではない。ほんとうに生きる道はないのかという葛藤に眼を留めるべきである。そこには、私がつかんだ「生きる意味」を求め、それが充たされれば生きられ、崩れれば生きられなくなるという、意味を強くつかむ心と、逆にすべて無意味だとする心がある。そのいずれでもない、ほんとうに私が私としていのちを全うしようとする道が「中道」である。程よい中間という意味ではなく、苦を如実に見て、老病死で崩れないいのちを求める道である。そして苦はどこからくるのかという観察が「縁起」の観察である。
葛藤に立って
前回はNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』を視聴し、病の苦悩がいかなるものかを確かめた。その中でこの女性はこのように言われた。
「私が私であるうちに安楽死をほどこしてください」
「天井を見ながら毎日を過ごし、時々食事を与えられて、時々おむつを替えてもらい、果たしてそういう日々を毎日過ごしていて、それでも生の喜びを感じているのか、生きていたいと思っているか、自問自答する。」
寝たきりになっても生きる喜びを感じていられるのか。このように、生きる喜び、生きる意味に対する疑いが言い表されている。これまで、四門出遊における「老病死をみて無常を知った」という課題を、生きる意味を失い疑いに投げ込まれることであると押さえたが、このことと課題が一致する。そしてその病の苦悩は、ただちに生きる意味などのないと結論づけるのではなく、「自問自答する」とあり、本当にその中を生きる道はないのかという葛藤が表されている。疑いの中にあり、何ひとつ信じることのできないものが、何かに向かって歩み出すことがどうしてできるのか。それは老病死をみて無常を知った青年ゴータマが、どうして出家することができたのか、どうして出家する必要があったのか、という出家の課題と重なる問題である。そのことは人間であるが故に抱えている問題であり、その葛藤の中には「人間であること」が現れているのである。
しばしば、安楽死の問題は、本人の意思の問題として語られる。しかし「死にたい」ということを、個人的な問題にしてよいのだろうか。本人の意思であると安易にはいえないのではないだろうか。
京都のALSの事件がニュースで取り上げられていたころ、ある病棟の患者さんは、「先生、私ももう安楽死させてもらうわけにはいかんやろか」といわれた。そして、その京都のALSの女性は、前回視聴したNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』を見たことが安楽死への思いを強めた一つのきっかけになったという。そして番組で安楽死を選んだ女性は、同じ患者さんの姿を見て、こうなっては生きている意味がないと見てしまった。このように「こうなってはもはや生きている意味がない」といのちを無意味化する心は連鎖する。この心は自分自身も無関係ではない。多くの難病の患者さんをみてきて、たとえ何もできなくても、一日をただ生きることがすばらしいと思っていても、自分が同じ状況に直面したときにも同じように思えないとすれば、こうなったらもう意味がないといのちの意味を切り分けていく心がどこかにあるということである。私がもし「こうなっては生きていく意味がない」と考えるならば、それは「生きたい」と言えなくなるようなつながりの一端を担っているかもしれない。したがって単純に個人の意思ということですまない問題がある。
したがって、この「死にたい」ということばを文字通り受け取る前に、もうすこしこの心に眼を留めなければならない。「生の喜びを感じているのか、生きていたいと思っているか、自問自答する」といわれるように、ほんとうに意味がないのかと葛藤する。「私が私であるうちに安楽死をほどこしてください」という言葉には、「私が私でありたい」という心が表されている。このことは、「私が真に私としていのちを全うしたい」ということであり、第6回で確かめた「真実を求める心」が表されていると見るべきだろう。何も求めなければ苦悩もない。「確かな生きる道」を求めているからこそ苦悩するのである。
そのように「私が私でありたい」ということは精一杯生きるということのはずであるが、そのことがかえって私を生きられなくする。私の欲求をみたすかどうか、満たすなら生きられる、満たされないなら死ぬしかない、我われはそういうことでしかなかなか受け止めれない。ほんとうに私が私であるとはどういうことか、なぜ生きられなくなるのか、そういうことを「私が私でありたい」という心の内実を、葛藤に留まって確かめる必要がある。
苦行を放棄するということ
我われは、「私が私でありたい」という形で確かな生きる道を求めているが、そのなかにはさまざまな葛藤がある。あるときはこれこそが喜びであると「諸行」を喜びとしてつかみ、あるときは苦しみを直接的に取り除こうとし、死すら望む。青年ゴータマもそうであった。ゴータマが出家をしたのは、確かな生きる道を求める心に出会えたからであることを確かめたが、その確かな生きる道を求める心は、いつの間にか「苦行」を求め、身体を痛めつけ苦しみを直接的に取り除こうとする心に捕らわれていた。その行き着く所は、苦しみを直接的に取り除くのは、身体の死ということにもなるだろう。しかしゴータマはその道を選ばず、苦行をやめたのであった。何故苦行をやめることができたのか。この苦行を放棄する場面を描く物語には、初回で取り上げた「衆生や愍むべし。互に相い呑食す」という樹下観耕の物語について、再度挿入される。
我、今、日に一麻一米を食らい、乃至、七日に一麻一米を食らい、身形消瘦、枯木の若きあり、苦行を修する、満六年に垂として、解脱を得ず。故に道に非ざるを知る。昔、閻浮樹下に在りて、思惟せる所の法、離欲寂静こそ。是れ最も真正なるに如かず。
(『過去現在因果経』大正蔵3, 639a25-29)苦形は枯木の如くして、六年を垂満するも、生死の苦を怖畏し、専ら正覚の因を求む。自ら惟うに、此れによっては、離欲寂観は生ずるに非ず。未だ、我れ、先の時、閻浮樹下に於いて、得し所の未曾有なるに若かず。当に知るべし、彼れは是の道なり。(再掲, 『仏所行讃』大正蔵4, 24b23-27)
とある。「衆生や愍むべし。互に相い呑食す」という老病死を持つ衆生の苦悩は、生命の事実であり、悲しむべきものであった。外に苦悩を見たとき「願わくは、ここに停まらん」と悲哀にとどまろうとしたが、内なる苦悩に対しては、「生死の苦を怖畏」し、苦行によって直接的に取り除こうとしていた。いま苦行を捨てるときにまた、この樹下観耕を思い起こしたことの意味は、「生死の苦を怖畏」するのではなく、その苦悩にとどまって、その真っ直中を生きる道を選んだということであると言える。
降魔の物語が意味すること
この苦悩の中での釈尊の選びは、「降魔」の物語にも現れている。『スッタ・ニパータ』にはこのようにある。
ネーランジャラー河の近くで専心してつとめはげみ、平安を得ようと奮い立って静観している私に、悪魔ナムチは、やさしい言葉をかけて近づいた。
「あなたは痩せおとろえて顔色が悪い。あなたはいまにも死にそうだ。死が千ならあなたの命は一にすぎない。生きよ、生きていたほうがいい。命があってこそ福徳を積むことができるのだ。梵行を修して火の神に供物を捧げるものに、多くの福徳が積みあげられるのだ。つとめて何になろうか。つとめる道は、進むにかたく、作しがたく、達成しがたいものだ。」この詩を唱えて悪魔は仏陀のそばにたった。
このように、悪魔ナムチは、福徳を積み上げた方がよいと誘惑する。福徳を積み上げ、あなたの欲望をみたすほうがよいというのである。しかし出家の課題は、諸行を求めることこそ生きる意味だと思ってきた者が、老病死によってそれが崩れ去ったとき、生きる意味を失い生きられなくなるということであったはずである。ここで悪魔は再びその崩れるような諸行を求めて依り所とせよと誘惑するのである。このことは、病によって生きる意味を失い、絶望の最中にいる患者に、安易な方法で苦悩を紛らわすような余興を勧めるようなものである。それに対して釈尊はこのように応える。
このように語ったその悪魔に、世尊はつぎのように語った。
「放逸の親族、悪魔よ、そのためにここにやってきたのか。私には福徳などいささかも意味がない。福徳に意味があると思うものたちに悪魔は語るがいい。私には、信仰(saddhā)があり、勇気(viriya 精進)があり、智慧(paññā)がある。このように専心してつとめている私にどうして命のことを尋ねるのか。私の勇気からたち上がる風は、河の流れをも干上がらせるであろう。専心してつとめる私の身体の血がどうして干上がらないだろうか。」
ここに「信仰があり、勇気があり、智慧がある」とある。このことは、第6回で引用した『スッタ・ニパータ』(184)に、いかにして苦悩の激流を渡るかという問いに答えて、信仰と不放逸と勇気と智慧によって渡る、という記述があったが、それと同様にここでも「信仰」ということが言及される。そして既に確かめたように、この信仰とは、「真実を求める心がある」と信じることであった。老病死で崩れるような意味をつかむのではなく、意味を捨て去るのでもない。意味があるとかないとかといって、自らのいのちの価値を決めて自ら傷つけるようなあり方ではなく、苦を如実に見てそれに応えて生きること、すなわち老病死で崩れないような”いのち”を求めて生きることを選んだのである。それは苦行を放棄した釈尊の選択と同様であり、その道が「中道」といわれるのである。
中道
『パーリ律 大品』において、初転法輪が説かれるところには、このように述べられる。
その時、世尊は、五比丘に語られた。
比丘たちよ、家なきものとして出発したもの(出家)が近づいてはならない二つの極端(二辺)がある。二つとは何か。さまざまの欲望の対象にむかって愛欲や快楽をほしいままにすることは、卑しく、低劣であり、凡夫のすることであり、聖者のすることではなく、目的にかなうものではない。また、自らの疲労にふけることは、苦しみであり、聖者のすることではなく、目的にかなうものではない。比丘たちよ、如来は、この両極端に近づかず、中道を覚知した。これは、眼を生じ、智を生じ、静寂、叡知、覚知、涅槃をもたらすものである。(『パーリ律 大品 初転法輪』Vinaya-piṭaka, Mahāvagga, 1.6.17-31 Paṭhama-dhamma-cakka-pavattana, vol. 1, pp. 10-12, 『大乗の仏道』資料編p.70-)
「さまざまの欲望の対象にむかって愛欲や快楽をほしいままにすること」は、諸行こそ私が生きる意味であると、意味を強くつかみ、老病死の苦を見ないようにする態度であり、それを「楽辺」という。また逆に、「自らの疲労にふける」とは、苦を直接的に取り除こうとして、身体を痛めつける苦行であり、時には身体自体をなきものにしようとする態度であり、それを「苦辺」という。それはいずれも苦を見ず、苦を避けようとする態度である。「中道」はそのいずれでもなく、苦を如実に見つめ、その苦を生きていこうとする態度である。したがって、苦と楽のあいだの程よい道という意味ではない。生きる態度という点で、質的に異なる道であるといえ、その道によって苦を如実に見ることを「正見」という。
人間とは苦悩する者
この正見によって見られたことが「四聖諦」と呼ばれる。苦聖諦・集聖諦・滅聖諦・道聖諦という。これは苦という真実、苦の因という真実、苦の滅という真実、苦の滅にいたる道という真実、という意味であり、いずれも人間を、苦悩をする者として見ることが背景となっているのである。本講義で度々取り上げるV.E.フランクルの『苦悩の存在論』の原題”Homo Patience”も、人間をHomo sapiens(知性ある者)ということになぞらえた、「苦悩する者」という意味である。苦悩の中にむしろ人間の人間たる所以があると見る見方である。その「人間であるが故の苦悩」を観察したのが、菩提樹下での「縁起の観察」である。我われは苦しみをいかに無くすのかということをまず考えるが、中道を歩んだ釈尊は、苦しみはなぜ起こるのかと思索するのである。その思索を、人間として生きることの悲哀なしに、単に苦悩の論理的構造と見てもその意義がつかむのは難しい。したがって、ここでは「人間として何に苦悩するのか」という観点から「縁起の観察」を確かめていきたい。
縁起の観察と患者の苦悩
縁起の観察について、相応部経典の記述にそって確認していきたい。
比丘たちよ、私が覚める以前、未だ正覚していない菩薩であったとき、このような思いが起こった。「実にこの世間は苦難に陥っている。生まれ、老い、死に、去り、生まれる。しかしこの苦悩からの出離(nissaraṇa)、老死からの出離を知らない。一体いつ、この苦悩からの出離、 老死からの出離が知られるのか」と。
このように、いつ苦悩からの出離、老死からの出離が知られるのか問う。そして次にこのような問答がある。
そのわたしに、比丘たちよ、このような思いが起こった。
「何があるから老死(jarā-maraṇa)があり、何に縁って(paccayā)老死があるのか」と。
そのわたしに、比丘たちよ、如理作意(yoniso-manasikāra)にもとづく慧(paññā)による現観 (abhisamaya)が起こった。
「生(jāti)があるから老死がある。生に縁って老死がある」と。
「何に縁って老死があるのか」「生に縁って老死がある」このような問答である。「生(jāti)」とは誕生のことである(「生きること」ではない)。ここで述べているのは、生まれたから老死があるという、単なる論理的因果関係のように見えるが、それでは縁起の観察の意図としては不十分な理解であろう。「老死」といっても、それは「老死の苦悩」であり、経典にも「憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、不安」と述べられる。我われは、そのような憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、不安に代表されるような苦悩とは、生きる意味に対する疑いということに基づく、老病死を持つ衆生の中でも人間であるが故に起こる苦悩であると確かめた。したがって、「何に縁って老死があるのか」と問い、「生があるから」と答える意味は、「何に縁って生きる意味を失うという苦悩があるのか」と問い、「人間として生まれたから」と答えたと捉えるべきであろう。そう捉えて次の答えがより明確になる。
そのわたしに、比丘たちよ、このような思いが起こった。
「何があるから生があり、何に縁って生があるのか」と。
そのわたしに、比丘たちよ、如理作意にもとづく慧による現観が起こった。
「有(bhava)があるから生がある。有に縁って生がある」と。
「有(bhava)」とは「あること」もしくは「なること」である。人間にとってあること、なることとは、一つの境涯、境遇である。人間は何ものでもなく生きていく、ということができない。何ものかとして生きていく、ということに意味や喜びを求める。ここで、前回から確かめている安楽死を選んだ女性の言葉をもう一度確かめたい。このようにおっしゃっている。
「私が私であるうちに安楽死をほどこしてください」
ここに「私が私でありたい」とある。私は私としていのちを全うしたい。何ものかとしてありたいのである。逆に言えば、人間は何ものでもなく生きていくことができない、ということを表されているともいえる。したがって、「有に縁って生がある」とは、「何ものかとしてあることに縁って、人間として生まれたということがある」という意味と捉えることができる。
「取(upādāna)があるから有がある。取に縁って有がある」
「取(upādāna)」とは、自分のものにするということである。何ものかとして生きるということは、自分のものとして何かを獲得しなければならない。我われは、財産や能力、資格など、さまざまなものを自分のものとし、それによって何ものかになっていくことに人生の意味があると考える。したがって、「自分のものにするということに縁って、何ものかとしてあるということがある」という意味と捉えることができる。そしてそれは何によってそうなのかといえば、
「渇愛(taṇhā, tṛṣṇā)があるから取がある。渇愛に縁って取がある」
「渇愛(taṇhā, tṛṣṇā)」とは「渇き」である。これはまさに、先に確かめた安楽死を選んだ女性の声に現れているとおり、「私が私でありたい」と渇き求めることである。喉が渇けば水を飲むのと同じぐらいあたりまえに、私は私であることを求めている。しかし「これこそ私である」と信じてきたものが、老病死によって崩れ、「私が私であること」の意味を失ったとき、こんな私は私ではない、と人間は生きていくことができなくなる。それが老病死の苦悩である。
しかし苦悩するということは同時に、老病死によって崩れることのない意味を求めていることでもあり、それによって喜びそれによって苦しむこともできるような、人間として生きることの根本から支えるものを求めていると言える。つまり「自己とは何か」という問いである。
したがって、縁起の観察において、どうして苦が生じるかということの逆に、どのように苦を滅するかということにおいて、渇愛を滅するということを、文字どおり消滅することだといってみても、それが「私が人間として生きる」ということにおいて、何を意味することなのかははっきりしない。私たちは何を自己として求めているのか。その課題をまず確かめなければならない。