[この記事は『崇信』二〇二五年十月号(第六五八号)「病と生きる(115)」に掲載されたものです]
十年ほど前、あるお寺で法話の機会をいただいた。二日で三座、そのすべてを聞きに来られたかたがおられた。三座目は永代経法要ということもあり、「ほんとうの供養とは」という講題で話した。その法話が終わったときのことである。そのかたは、涙を流しながら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を何度も口にされていたのであった。その光景がいまも脳裏に刻まれている。その「南無の心」をたずねていきたいと思った。
そのとき自分が話したことを、用意した資料やメモをもとに少し振りかえる。
当時(二〇一六年)、水俣病公式確認から六〇年ということで、石牟礼道子さんの言葉を取り上げていた。メモに、「石牟礼道子—素手で大地を掘るように生きている」とあるが、引用元がわからない。そのあとに続いて、「私たちは言葉で掘ろうとしている。言葉にできないいのちの深い祈りを聞き取る」と書いてある。そんなことを話したらしい。
またジャータカ物語である「投身飼虎物語」を取り上げていた。三人の王子が森で飢えた虎に遭遇したとき、釈尊の過去世の姿とされる一番下の王子は、
「我は久遠の生死の中において、身を捐つること無数にして、唐らに躯命を捨てたり。あるいは貪欲のために、あるいは瞋恚のために、あるいは愚痴のためにす。いまだかつて法のためにせず。今、福田に遭えり。この身何くにか在り」(『賢愚経』)
と言って、わが身を投げ、飢えた虎の親子を救う。そのことについて、『改訂・大乗の仏道』で述べられていることを紹介した。「今、福田に遭えり」という「福田」とは、そこに向かって供養することによって福徳がもたらされる尊敬に値する対象であり、菩薩が衆生を供養する物語であるということ。身を投げ出すということは、菩薩自身が苦しみの中にある衆生とまったく同じ生命を生きるものであることが、身体を挙げて表現されていること。つまり衆生の苦悩を尊敬に値するものと見て、その苦悩に身命をかけるということであり、衆生を供養するということは、苦しむ衆生と共にあろうとすることであること。そんなことをお話ししたようである。
最後に東日本大震災で妻と一人息子を亡くした方の言葉を紹介していた。
「最愛の妻と/生まれたばかりの一人息子を/大津波で失いました。/いつまでも二人にとって/誇れる夫・父親であり続けられるよう/精一杯生きます。/被災されたみなさん、/苦しいけど、負けないで!/名取市職員S」(名取市役所内、安否確認の掲示板)
先立った人から私への願いを聞き、それに応えるという形で、私が生かされるということがある。お念仏も仏からの呼びかけの言葉であり、それに応える言葉でもある。そこに衆生を供養する菩薩の心、願いがある。
菩薩は仏に出会い、願作仏(願わくば仏と作らん)と度衆生(衆生を度さん)の心をおこした。その菩薩が仏になった、法蔵菩薩が阿弥陀仏になったということは、衆生の苦しみに添い遂げたということではないか。自分の苦しみに寄りそういのちが確かにある。そのいのちを生きる。苦しみに添い遂げる心を持つ者(仏)に出会う者として生きる。そういうことが「供養」という言葉がもっている大事な意味なのではないか。およそそういう内容であったと思う。
涙を流していた女性のことが気になって、法話のあとにたずねていった。白血病で若くして亡くなった娘さんが、お寺とのご縁となったということであった。娘さんを亡くし、どう生きていったらいいかわからなくなった。しかしお念仏の教えによって、その方向を示してもらったとのことであった。その道を求めておられる姿から、何か「純粋な出発点」をいただいたような気がして、今もその方のお念仏を大事に心に留めている。「南無の心」が聞こえてきたときに、始まりも終わりもわからぬままさまよい続けている私は、大事な始まりをいただくように思う。






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