他力の掌中にある
[この記事は『崇信』二〇二三年二月号(第六二六号)「病と生きる(87)」に掲載されたものです] 昨年(2022年)の年末、とうとう新型コロナウイルスに感染した。たいへん苦しい経験であった。執筆している現在も倦怠感が残る。...
[この記事は『崇信』二〇二三年二月号(第六二六号)「病と生きる(87)」に掲載されたものです] 昨年(2022年)の年末、とうとう新型コロナウイルスに感染した。たいへん苦しい経験であった。執筆している現在も倦怠感が残る。...
[この記事は『崇信』二〇二二年十二月号(第六二四号)「病と生きる(85)」に掲載されたものです] 認知症で通院されていた患者さんが、新型コロナウイルスに感染し別の病院に入院された。奥様も感染したが、症状が重かったこのかた...
コロナ禍と他者 危惧していたことが現実になった。医療が受けられないままに新型コロナによって自宅で亡くなっていく方が続出している。妊婦の方が入院できず自宅で出産し新生児が亡くなるという痛ましいニュースも耳にした。大変な非常...
病室に伺うと、テレビでオリンピックを見ておられた。多系統萎縮症のため寝たきりとなった方である。会話も難しくなってきたが何とか聞き取れる。オリンピックはどうですかと尋ねると、応援していますとおっしゃたが、その返事は懐かしそ...
新型コロナウイルスの第四波が襲う五月、私の外来に通うCさん(仮)が新型コロナウイルスで亡くなった。そのころ関西圏では重症化しても入院できない事態に陥っており、Cさんも入院できず自宅で亡くなったと連絡があった。私自身、医療...
先月号で、新型コロナウイルスのために病院では面会できないことを取り上げたが、これだけ感染が拡大し、変異により感染力も毒性も増している中では、院内で一人発症することが大勢の死亡につながる事態となる。しかも重症化しても設備の...
病室でふと床頭台に目を遣ると、一通の一筆箋があるのに気がついた。奥様からのお手紙であった。いつからそこにあったのだろうか。傍らには他にも何通も置かれていた。コロナ禍の今、病院では直接の面会はできない。受付で受け取ったもの...
いまやマスクをして出歩くのは当たり前の光景となった。仕事で一日中マスクをしてきた私としては特に違和感がないが、慣れない方は大変かもしれない。医療従事者が常にマスクをしているのは、感染抑制に一定の効果があるからであり当然の...
認知症外来でのことである。付き添いの奥様がお疲れの様子であり、あとでそのわけを伺った。すると最近夫が暴力的で困っているという。普段は穏やかなのだが、急にスイッチが入ったように目の色を変えて手を上げると。認知症だからでしょ...
このたびの新型コロナウイルスの問題には、生きるという事態についてさまざまなことを考えさせられる。自分が生きるということが、他者のいのちと繫がっている、さらにいえば傷つけているということを改めて気づかされる。感染症というの...