自己に帰ろうとする意欲
[この記事は『崇信』二〇二三年八月号(第六三二号)「病と生きる(92)」に掲載されたものです] 先日、最近認知症外来に通い始めたあるかたが、話し始めるなりこうおっしゃった。「何もする気が起こらない。早く死んでしまいたい」...
[この記事は『崇信』二〇二三年八月号(第六三二号)「病と生きる(92)」に掲載されたものです] 先日、最近認知症外来に通い始めたあるかたが、話し始めるなりこうおっしゃった。「何もする気が起こらない。早く死んでしまいたい」...
Dさん(仮)へ こんにちは。今回、少しお手紙を書かせていただきました。というのも、全くコミュニケーションがとれない閉じ込め状態のDさんと、どのように向き合ったらよいのかわからず、どうしてもDさんのところにいる時間が少なく...
新型コロナウイルスの第四波が襲う五月、私の外来に通うCさん(仮)が新型コロナウイルスで亡くなった。そのころ関西圏では重症化しても入院できない事態に陥っており、Cさんも入院できず自宅で亡くなったと連絡があった。私自身、医療...
自己とは何か 我われは、私が私であること、私であることの意味を渇き求めているということを前回確かめた。老病死によって、これこそ私であると信じてきたものが崩れ、こんな私は私ではない、と「私が私であること」の意...
認知症外来で実施される検査に「長谷川式簡易知能評価スケール」と呼ばれるものがある。医療に携わる人なら誰もが知る有名な検査で、認知症の診断に欠かせないものとなっている。この検査を開発した長谷川和夫先生は認知症医療の第一人者...
いつものように一人の男性が、息子さんに連れ添われ認知症外来に受診された。そのお顔は笑顔とも憂え顔ともつかない、感情がなくなってしまったかのようにみえる。目は合うが、話しかけても返事をされることはなく、私はまだ一度も彼の...