タイで生きる人たちの物語(1)

 二〇一七年五月、私はご縁があってタイの東北地方を訪れた。「逝《い》き生きツアー」と題された旅は、普通の観光旅行ではなかった。企画をされた古山《こやま》裕基《ひろき》さんは、タイで看護学部を卒業された。看護学生のとき、初めて出会った死の「物語」に心を揺さぶられ、タイの人たちの「生きる」に触れてほしい、と日本とタイの交流の場を広げようと活動をされている。古山さんは死にゆく姿について「逝きる」と表現される。生と死を分けて考えるのではなく、死も生きることと一つのことと受けとめるタイの人たちの姿を伝えたい、という思いからであろう。そしてその一環として、今回の旅を企画された。

 それに先だって二〇一六年九月、古山さんはシンポジウム「日本とタイの実践者から看取りの場作りを考える」を日本で開かれた。その会ではタイから医師、看護師とともに仏教の僧侶も招かれた。というのは、タイでは看取りの場には医師、看護師だけでなく、僧侶が当然のようにいるのである。そこで、僧侶であり医師でもある私のことを耳にされた古山さんが、私の勤める病院に訪ねてくださったのが出会いのきっかけであった。

 タイの人たちの生き方に関心を持ったものの、まさか直接触れる機会があるとは思っていなかった。そこで今回のツアーのことを知らされ、少し迷ったものの参加させていただくことにした。その詳細については、今回お誘いして一緒に旅した、平野喜之《よしゆき》さんの記事をご参照いただきたい。

 少し迷った、といったのは、私が苦手とする虫が気になった、というだけではない(結果としてこれほど虫が嫌いな私が、虫を食事としていただくことになる)。タイと日本ではあまりに環境が違う。日本で生きる私が、どこまでタイの人の生き方を理解でき、そしてそれが私が生きるということとどう結びつくのか。また、タイと日本は仏教という共通の宗教があるというが、タイに伝わる仏教は上座部《じょうざぶ》仏教であり、日本は大乗仏教である。上座部仏教を決して否定するわけではないが、大乗仏教を生きる依り所としている私が、上座部仏教を知る必要があるのか。

 しかし、私は確かめてみたいと思った。人が生き生きと喜びをもって生きるということを、どんなときにも支える普遍的な何かがあるならば、それは時代や文化の差異を超えて、通じ合うものがあるはずだ。そしてその裏返しとして、生き生きと生きることを障げるような苦悩、一人の人間だからこそもつ苦悩は、文化や宗教を越えて、根源的な問いとしてそこにあるはずだ、ということを。これまで述べてきたように、老病死の苦悩を「生きる意味」の喪失と受けとめ、老病死により決して崩れることのない生きる意味、いのちの尊厳を求めることが仏教の求道心であると受けとめてきた私は、上座部仏教の僧侶との対話を通して、またタイの田舎の村で生活する人たちの中に入って、それを確かめたいと思ったのである。(次号に続く)

[『崇信』二〇一七年七月号(第五五九号)「病と生きる(23)」に掲載]