学問と実践

 しばらく仏教学の博士論文に専念するため、連載をお休みさせていただいた。世親(天親菩薩)の兄である無著が偈頌を製作し、世親が註釈を施したといわれる『大乗荘厳経論』と、安慧による註釈を中心として、初期唯識思想を研究している。

 しばしば学問が現場の実践との対比で語られ、学問が現場に必要かと問われることがある。しばらくは論文の締切が迫っていたこともあり、診察の合間に論文を書き進めるということが多かった。「どうしてこんな病気になってしまったんでしょうか。もう治らないんでしょうか」と問われる横には書きかけた論文がノートパソコンに表示されている。自分の置かれた境遇をどう受け止め、どう生きるのか。その問いを、そのまま患者さんの問題と捉えるにしても、自分の問題として捉えるにしても、傍らに置かれたテキストはそれに直接応えてくれるわけではない。

 十年ほど前、医学研究をしていたときと重なる点がある。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因究明のため、ALSの中でも一部ではあるが、SOD1という遺伝子の変異によりALSが発症する例に着目し、変異SOD1遺伝子がつくり出す蛋白質の構造の変化がなぜ神経変性を起こすのかということを研究していた。病気の研究といっても、実際は蛋白質の構造を研究しているのであり、目の前の患者さんの病気を治すということには直接なんの役にも立たない。しかし一方で、病気が発見されてから一五〇年経った今でもわずかな手がかりしか得られていない難病を前にして、ただ現場にでているだけではいつまで経っても病気の原因はわからない。

 同様に、『大乗荘厳経論』の研究が人生の問題に直接応えてくれるわけではない。しかし一方で、世間の価値観ではまったく間に合わないような苦境に対して、現場の実践だけでは、その問題に応えられないばかりではなく、問題そのものを見誤るおそれがある。医師は医学的なことはEBM(Evidence-based medicine, 根拠に基づいた医療)といって厳密に根拠に基づいて述べるが、医学的なことを越えて患者の苦悩について書いたものの多くが、基づく思想のない「意見」に終始しているか、自分の意見に合う言葉を引っぱってきてつなぎ合わせているに過ぎないように思われる。むしろ何らかの思想に基づくことは片寄っており、自分の意見を述べることこそが自由な意志であり重要であると考えられているようである。自分の意見こそが自分を追い込んでいるとは考えない。しかし自分の意見と自由な意志は慎重に区別するべきではないか。

 清沢満之『臘扇記』一八九八年九月二十七日の記述にあるGeorge Long訳“Discourses of Epictetus”(『エピクテタス語録』)の引用がこの問題と関係がありそうである。単なるつなぎ合わせになることを危惧しつつ、ここに引用する。

Man, he says, you have a free will [英訳原文はa will free] by nature from hindrance and compulsion. [英訳原文と比較するとここに数行の中略あり] But, you object, “If you place before me the fear of death, you do compel me.” No, it is not what is placed before you that compels, but your opinion that it is better to do so-and-so than to die. In this matter, then, it is your opinion that compelled you: that is, will compelled will. [『清沢満之全集 第八巻』三五〇~三五一頁]

「君、」と彼はいう。「あなたは障げられず強いられない意志の自由を本来もっているのです。」しかしあなたは反論する。「もしあなたが私の前に死の怖れをもたらすなら、あなたは私を強制するのです。」いいえ、あなたにもたらされたものではなく、死ぬことよりもこれこれをすることのほうがよいという、あなたの意見があなたを強制するのです。このようにして、そのときあなたの意見はあなたを強制したのです。つまり意志が意志を強制したのです。(筆者訳)

 学問のない実践は単なる意見に陥るおそれがある。しかし実践のない学問は単なる好奇心となるおそれがある。意見や好奇心が良いか悪いかではなく、それらがほんとうに自分の憂悲苦悩に応えうるものかどうかということが問題である。学問にしても実践にしても、自己を開くのではなく、かえって自己を縛るものになっていないかと問いかける声を聞かなければならない。

[『崇信』二〇一九年十二月号(第五八八号)「病と生きる(49)」に掲載]