認知症外来で実施される検査に「長谷川式簡易知能評価スケール」と呼ばれるものがある。医療に携わる人なら誰もが知る有名な検査で、認知症の診断に欠かせないものとなっている。この検査を開発した長谷川和夫先生は認知症医療の第一人者であるが、実はその先生ご自身が認知症になったということは知らない人もおられるだろう。先生は、自分の姿を見せることで、認知症とは何かを伝えたいといって公表された。
その長谷川先生が出演するNHKの番組『認知症の第一人者が認知症になった』が2020年1月11日に放送された。最近薦められて見てみると、先生ご自身の苦悩が、これまで本誌上で紹介した患者さんの声や取り上げてきた課題と驚くほど呼応していることを知った。不安、孤独、絶望。それを包み隠さず私たちに見せてくださる番組であった。
「生きている上での確かさというのが少なくなってきた」「朝起きて今日は何をするんだろうな。俺はいまどこにいるのかな。自分自身のあり方がはっきりしない」と話され、日々つけている日記には、「一所懸命やってきた結果こうなった。どうも年をとるということは容易ではない。僕の生きがいは何だろう?」と、これまで築いてきたものが崩れ、自分のあり方が揺らいでいる心境が語られる。確かだと信じられる自分とは何か。それはまさに信仰の問題である。番組内で、ほとんどの人は注目しないだろうが、場所に不相応な話をし始めたという理由で、娘さんが話をさえぎる場面があった。そこでちらっと「キリスト教の信仰にぶつかった」といわれた。そこには人間にとっての根源的な課題があるはずであるが、残念ながら続きが聞けなかった。
その後認知性が進み、妻の負担を減らそうとデイサービスに通い始めた。実はデイサービスは、長谷川先生自身が推進してきたことであった。しかし——。「医者の時はデイサービスに行ったらどうですか、そういうことしか言えなかったよね。少なくとも介護している家族の負担を軽くするには非常に良いだろうというぐらいの、素朴な考えしか持っていなかった。何がしたいですか?何がしたくないですか?そこから出発してもらいたい。ひとりぼっちなんだ俺、あそこに行っても。」
番組では、デイサービスで皆が輪投げをして遊ぶ中に入って、寂しそうにされる先生の姿があった。(遊ぶのもいいが、その前に誰か、俺のこの苦悩を聞いてくれないか?俺自身を見てくれないか?)そう言っておられるような気がした。日記には英語で、“Where are you? Where am I? Where is Mizuko(奥様の名前)?”と記されていた。心が置き去りにされている。あなたはどこにいるのか?わたしはどこを生きているのか?いのちの在処とその根源的なつながりがはっきりしない。そんな叫びが記されているように感じた。
先生には忘れられない患者がいたという。その方は死ぬまで胸の内を明かすことはなかったが、唯一残していたのが五線紙に綴られた言葉だった。「僕にはメロディーがない/和音がない/響鳴がない(中略)この音に響鳴するものは/もう僕から去ってしまったのか/力がなくなってしまった僕は/もう再び立ち上がられないのか/帰って来てくれ/僕の心よ 全ての思いの/源よ 再び帰って来てくれ/あの美しいこころの高鳴りは/もう永遠に与えられないのだろうか」亡くなった後にそれを見て先生は涙された。その患者の奥様は「彼の苦しい心に寄り添えなかったというのが一番の悔いですね」と苦悩に寄り添えなかった後悔を語られた。
取材の中で先生は、死のうかと思って奥様に話したら、「そんなことやめなさい、格好悪いよ」そう言われてやめたよと軽妙に話す。一方講演会では、「家内も一緒に暮らして、同じ苦しみそれから楽しみを分かち合って過ごしています」としみじみと語られる。日々の生活の中で、苦悩を共にする存在が求められている。奥様が弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番『悲愴』を感慨深い表情で聞く先生の姿が映されていた。
[『崇信』二〇二一年三月号(第六〇三号)「病と生きる(64)」に掲載]
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