[この記事は『崇信』二〇二六年四月号(第六六四号)「病と生きる(118)」に掲載されたものです]
昨年三月頃、受念寺に併設する私設図書館『念々堂』に、ご夫婦で通ってくださるようになったかたがあった。たまたま通りがかりに見つけてくださった。旦那さまは本がお好きで、ボランティアスタッフをしたいと言ってくださっていた。
六月頃、奥さまが深刻な面持ちでご相談に来られた。旦那さまが、脳腫瘍と診断されたというのである。しかも脳腫瘍の中でも最も悪性で、非常に進行の早いものだという。私は専門ではないが、その病が極めて予後の厳しいものであることは知っていた。せっかくご縁をいただいたばかりのかたに、出会って間もなくこれほど深刻なことが起こるとは思いもしなかった。
奥さまの悲しみは計り知れない。どう受けとめたらよいかわからないと取り乱されていた。話をうかがうと、旦那さまはご家族から深く慕われ、尊敬されるかたのようであった。老病死は誰にも容赦なく襲いかかる。ただその悲しみに耳を傾けることしかできなかった。
願いとしては当然、病が治ってほしい、少しでも長く生きてほしいということである。しかし同時に、病は治らなくても「限りあるいのちを最期まで大事に過ごしてほしい、そしてそのいのちを共に生きたい」という願いもまた、奥さまの悲しみの中から聞かせていただいた。自分が何を語っても不十分に思え、『念々堂』の蔵書から、宮下晴輝先生の『仏教は何を教えるのか-生老病死のなかで-』と、鈴木章子さんの『癌告知のあとで』をお貸しした。
その後も何度かお会いし、病状をうかがった。その中で奥さまは、この苦境を通して、これまで気がつかなかった大事なことに気づかせてもらっている、一日一日がかけがえのない日になっていると語られた。厳しい状況でのその言葉に、深く心を動かされた。鈴木章子さんが残された「今ゼロであって当然の私が/今を生きている」「お念仏をおもい念ずるとき/一瞬/みずみずしい感動が/指の先まで走る」といった言葉に呼応するものを感じた。「私は力になれないが、私も経験したことのない大事な時を旦那さまも奥さまも過ごしておられる。そのお姿から学ばせていただきたい。」と申し上げた。
やがてご夫婦で、受念寺に併設の軽費老人ホーム『受念館』を見学され、入居を希望された。本年一月には、退院後に受念館へ入居する準備も始まった。
ところが二月、再びご連絡があったとき、電話口のお声からすぐに深刻な状況が伝わった。主治医から、腫瘍が脳幹にまで浸潤していると説明があったという。脳幹には呼吸中枢がある。呼吸が止まったときの意思確認も行われ、ご本人とご家族で話し合い、そのときには人工呼吸器などの処置はしないという決断をされた。そのことを奥さまは涙ながらにお話しくださった。
児玉曉洋先生は、「「阿弥陀仏」に出遇うということがなければ、死は生の終わりとして、それは死亡であり、亡くなることであるけれども、私たちがその生の中で「阿弥陀」に触れるならば、死は生の完成となる」と述べられている。その言葉が心にあり、次のように申し上げた。
「命のことですから、まだどうなるか分かりません。しかし悲しいことですが、命の終わりは近づいてきているようです。けれども、死が生の終わりではなく、生の完成となる人生が阿弥陀さまの願いだと聞いています。最期までいのちを燃やし尽くす姿としてどうかしっかりと見届けて差し上げてください。私も陰ながら見守らせていただきます。」
三週間後、安らかに息を引き取られたと連絡があった。ご相談を受けてから約八か月であった。「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」と言われるが、まさにあっという間であった。改めて後生の一大事を心にかけよと呼びかけられたようであった。
南無阿弥陀仏の名号の元で、眠るようなお姿の前で枕経をお勤めした。葬儀は受念寺本堂で執り行った。法名「釋剋念」は『浄土論註』『教行信証』「証巻」などにある「彼の国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生まれんと願ぜんものと、亦往生を得るものとは、即ち正定聚に入る。此れは是れ国土の名字、仏事を為す。」から取らせていただいた。
念々堂での出会いから始まったご縁は決して長いものではなかったが、死しても消えることのない、いのちの厳粛なお姿が心にきざまれた。






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