祈り
[この記事は『崇信』二〇二二年十二月号(第六二四号)「病と生きる(85)」に掲載されたものです] 認知症で通院されていた患者さんが、新型コロナウイルスに感染し別の病院に入院された。奥様も感染したが、症状が重かったこのかた...
[この記事は『崇信』二〇二二年十二月号(第六二四号)「病と生きる(85)」に掲載されたものです] 認知症で通院されていた患者さんが、新型コロナウイルスに感染し別の病院に入院された。奥様も感染したが、症状が重かったこのかた...
目次人間であるが故に自分の問題との関わり 人間であるが故に ここまでALSの患者さんのことをご紹介させていただきましたけれども、我われ医療の現場にいる医療者、私自身も含めてどういうことが欠けていたのかということを、宮下先...
安田理深先生は「『唯識三十頌』聴記」で、このように述べられる。 有漏の諸法を蔵するとは、つまり私が経験をもつということ、それが阿頼耶識である。総じて生活ということを成り立たせる識である。私という言表が、それにおいて立てら...
向き合うべき問い —四門出遊の問いとALS患者の問い だから「問いにとどまる」ということは「痛みにとどまる」ということもあるのではないかと思うわけです。しかし問いにとどまる、痛みにとどまって尋ねるといっても、どう尋ねたら...
安田理深先生は「『願生偈』聴記」で、このように述べられる。 浄土は、相から出発するところにはない。相を果とするところの因位、その果となるところの相なき相から出発するところに、あるのである。人間的悩みから出発するのではない...
目次二つの転機対象としての問い — 問題がわかっているという思い込み問いにとどまる問いにとどまるということは痛みにとどまるということ 二つの転機 僕は医療現場で抱いた自信のようなものを二度くずされたと思っているのですが...
仏教の課題につながりにくいと考えて、あまり治る病気のことを書いてこなかったが、神経疾患にはもちろん治癒する疾患もある。そのことも少し記しておこうと思う。 あるとき、五十代の男性が意識障害で救急搬送され、救急診療科より脳神...
(2022年3月26日に行われた『崇信』巻頭言同人会の講話を、『崇信』編集者に文字起こししていただいたものです。) 目次はじめに幼少期の環境と出会い医療の世界へ医療の現場にでて はじめに みなさん、こんにちは。直接お会...
当直中、看護師から電話が鳴った。患者さんがなかなか部屋に戻らず、不穏な状態で困っているとのことであった。この病院では、体調のよい方はデイルーム(談話室)でテレビを見ながら、一緒にご飯を食べるようにしている。食事が終わって...
筋強直性ジストロフィーの方が入院されたときのことである。一時食事量が減り、呼吸状態も悪くなった。すぐに持ち直したが、今後栄養が取れなくなったとき胃瘻を造設するか、呼吸状態が悪くなったとき人工呼吸器を使用するか、などの選択...