人生に喜びはあるか ―医療現場の問いと仏教の問い―(6)
目次出会いの根拠苦しみにとどまれないなぜ苦しむのか真実を求める心(菩提心)満足に生きた人との出会い自分自身を生き抜く 出会いの根拠 苦しみにとどまれない もうすこし、先ほどの安楽死を選んだ女性の言葉に戻って確かめておきた...
連載「病と生きる」
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講話の記録目次出会いの根拠苦しみにとどまれないなぜ苦しむのか真実を求める心(菩提心)満足に生きた人との出会い自分自身を生き抜く 出会いの根拠 苦しみにとどまれない もうすこし、先ほどの安楽死を選んだ女性の言葉に戻って確かめておきた...
受念寺講話[2023年5月8日受念寺の永代経での法話をまとめたものです] 目次1.私たちにとって「信じる」とは何か(前回の振り返り)1.1長谷川和夫先生の話1.2欲と願 ―問題提起—1.3岩崎航さんの話2.「そのまま」と「ありのま...
受念寺講話[2022年11月8日受念寺報恩講の講話をまとめたものです] (三帰依文) 皆さんこんにちは。今日は、お盆にひきつづきまして、報恩講でお話しをする機会をいただきました。お盆にお会いしたかたもおられますし、まただいぶ久しぶ...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二三年一月号(第六二五号)「病と生きる(86)」に掲載されたものです] 認知症の母の介護に手を焼いている、と息子さんから相談があった。尿や便を頻繁に漏らしてしまうという。膀胱括約筋の働きは弱くなる...
講話の記録しかしそうはいっても、実際の医療現場で、そういう智慧、人間の問題を一緒にたづねていこうということにはなかなかならなくて、「これさえなければいいのに」「私はこうしたい」という、個人の問題というところを越えてたづねるというこ...
連載「病と生きる」[この記事は『崇信』二〇二二年十二月号(第六二四号)「病と生きる(85)」に掲載されたものです] 認知症で通院されていた患者さんが、新型コロナウイルスに感染し別の病院に入院された。奥様も感染したが、症状が重かったこのかた...
講話の記録目次人間であるが故に自分の問題との関わり 人間であるが故に ここまでALSの患者さんのことをご紹介させていただきましたけれども、我われ医療の現場にいる医療者、私自身も含めてどういうことが欠けていたのかということを、宮下先...
連載「病と生きる」安田理深先生は「『唯識三十頌』聴記」で、このように述べられる。 有漏の諸法を蔵するとは、つまり私が経験をもつということ、それが阿頼耶識である。総じて生活ということを成り立たせる識である。私という言表が、それにおいて立てら...
講話の記録向き合うべき問い —四門出遊の問いとALS患者の問い だから「問いにとどまる」ということは「痛みにとどまる」ということもあるのではないかと思うわけです。しかし問いにとどまる、痛みにとどまって尋ねるといっても、どう尋ねたら...
連載「病と生きる」安田理深先生は「『願生偈』聴記」で、このように述べられる。 浄土は、相から出発するところにはない。相を果とするところの因位、その果となるところの相なき相から出発するところに、あるのである。人間的悩みから出発するのではない...